2024.8.14
日々食べる分を量る
群ようこさんが小説の中で描く食べ物は、文面から美味しさが伝わってきます。
調理師の母のもとに育ち、今も健康的な食生活を心がける群さんの、幼少期から現在に至るまでの「食」をめぐるエッセイです。
イラスト/佐々木一澄
ちゃぶ台ぐるぐる 第8回 日々食べる分を量る
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前回、料理本に書いてある、細かく指定されている調味料の分量を見たとたんに、面倒くさくなるという私の性格を書いたが、一方で自炊を続けていながら、毎日、必ず量るものがある。料理本の調味料の細かい分量が面倒くさくて、なぜ日々食べる分を量るのが面倒くさくないのかは、自分でもわからない。
まず野菜はずいぶん前に、毎日食べている量を量ってみて、成人の摂取目標値といわれている、一日、三百五十グラム以上をクリアしていたので今は量っていない。パンはほとんど食べず、主食は御飯なのだけれど、米だけはきちんと量っている。
御飯の量が少ないと体重が減りがちになるし、多いと当然太る。若いときは多少、食べなくても体は持ちこたえられたが、この年齢になって感じるのは、
「やっぱり食べるべきものは、食べなくちゃだめ」
だ。ある程度の量を食べないと、頭も回らないし、体も動かなくなる。必要なものは食べなくてはいけないが、若いときは食べ過ぎても何とか消化してくれるけれど、老年になって食べ過ぎるのは問題があると思い、毎日御飯を食べる量をきっちりと決めている。といってももっと高齢になったら、食べないほうがよろしくないと思うので、そのときもまだ自炊が続けられるような状態であれば、何でも制限しないで食べるようにしたいと考えている。
昔から使っている二合炊きの土鍋で、御飯は二日に一度炊くのだが、七分搗き米の分量は大さじで八杯。そのうちの一杯は発芽玄米にしている。私の一日の活動量や、体重変化、体調などを総合して考えて、これがベストの分量と思って割り出した。ところが数年前に某週刊誌で、管理栄養士の先生が、一週間の食事日記を読んで、判定をしてくれるという企画に書かせてもらったことがある。先生による査定の点数がつくのだけれど、細かい点数は忘れてしまったが、七十点台だったと思う。アドバイスも細かくは覚えていないのだけれど、「糖質制限はしていないようだが、炭水化物の量が少ない」と書かれていたのは記憶にある。私としては野菜もたくさん食べているし、八十点は超えているのではと期待したが、結果はそうなってしまった。そして、
「ふーん」
と少し不満のまま、その時点では特に食事の量を変えようとはしなかった。
最近、現在推奨されている、活動状態が軽いシニア女性の一日の御飯の量を調べてみたら、三百グラムだった。一合は米の状態で量ると百五十グラム、品種や水加減などによって幅があるが、炊いた後は三百三十グラムくらいになるらしい。私が炊く米をあらためて量ってみたら、百十五グラムだった。炊きあがると二百五十グラムを超えるくらい。炊くときは洗った米に小さじ一杯の雑穀を混ぜている。以前は小さじ二杯、入れていたのだが、どうもお腹がごろごろいうので、試しに分量を減らしたら音がしなくなったため、小さじ一杯に落ち着いた。アマランサス、あわ、ひえ、押し麦などを全部いっしょくたに袋に入れて混ぜ、そこから小さじ一杯すくって炊く直前に加える。しかし私が二日間で食べている御飯の量は、推奨されている一日分にも満たなかった。
「これでは管理栄養士の先生から、チェックを受けるはずだ」
と反省したが、土鍋の中の炊きあがった御飯を見ると、これまで二日分にしていた量を、一日で食べるとなると、これだけでお腹がいっぱいになり、おかずが入らないのではないかと心配になってきた。一合よりはやや少ないながらも結構な量なので、それを一日で食べるとなると、私には大変そうな気がした。
そんな基準の半分以下の量しか食べていない私の御飯の食べ方は、二日に一度、朝に炊いた御飯のうち、三分の一を朝、三分の二を昼に食べる。夜は基本的に御飯は食べない。ジャガイモなどの芋類は、たまに食べることはある。なぜかというとそのほうが朝、起きたときに体調がよかったからである。しかし量が半分というのは、いくらなんでも少なすぎるのではと考えをあらため、急に二倍にはできないので、米を大さじ一杯ずつ増やして、自分なりの御飯の量を探っている状態だ。
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