よみタイ

四十六年間のひとり暮らしと自炊

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 今のように一年中、食中毒などに神経質になっておらず、冷蔵庫に入れたおかずは二日、三日かけて食べていた。常備菜があると便利といわれていたし、冷凍食品もそれほど出回っていなかった。一般家庭向けに、今のような大型冷蔵庫も販売されていなかったし、冷蔵庫のなかにある、小さな製氷コーナーくらいしか冷凍保存ができるスペースはなく、夏になるとそこにアイスクリームをつっこんでいた。
 手抜きをして霜取り機能を使わないでいると、ものすごい量の霜がつくので、あわてて千枚通しやねじ回しで砕いて取った。その作業をお父さんに頼んだら、あまりに霜が取れないために、つい力を入れすぎて製氷コーナーを壊したという話を、小学校の同級生から聞いたことがある。冷凍技術も発達していなかったし、一般的に冷凍された食品は、あまり信用されていなかったように思う。
 今のように神経質に消毒や殺菌に気をつけなくても、冷蔵したおかずを、二、三日かけて食べても、腹具合にはまったく問題なかったのは、私の腹が丈夫だったのか、世の中に存在する原因菌が少なかったのかはわからないが、調理時に最低限の気遣いをすれば、特に困ったことにはならなかった。梅雨時、夏場には食中毒の話題も耳にしたけれど、冷蔵庫で保存していれば大丈夫という感覚だった。ゴム手袋をして調理をするなんて、考えたこともなかったし、素手のほうが清潔に感じていたのではないだろうか。もし手袋を使って調理されたものを出されたら、かえって気持ちが悪いと思っただろう。
 その後は世の中の変化につれて、和食だけではなく、新しいジャンルの料理の作り方が身近になっていった。私はまず世の中にオイスターソースなるものがあると知り、エスニック系の料理が人気になるにつれて、それらを作るための調味料やスパイスを知るようになった。スーパーマーケットには、名前を聞いたことがない外国の調味料がずらっと並ぶようになった。当時私は、自分の料理下手に心から呆れていて、どうしたらそこから脱却できるかを考えていた。そして出した結論が、
「自分の腕前以上の凝った料理を、無理して作るのはやめる」
 だった。
 しかし、たまにはふだんとは違う料理を作ってみたいと欲を出し、エスニック料理の本を買って試しに作ってみた。おいしくできたときもあったし、そうでなかったときもあった。友だちに評判がよかったのは、生春巻きだったが、材料を揃えて切ってエビをゆで、ライスペーパーをらして、それらを包めばいいだけだから、料理と呼べるものではない。スイートチリソースのたれに助けられたのだろう。
 評判がよかった生春巻きだったが、その後、作ったのは一回だけで、スイートチリソースが余った。もったいないと思ったのだけれど、それをどうやって活用していいのかわからず、冷蔵庫内で放置したまま、消費期限が切れてしまい、廃棄することとなった。そんな有様になった調味料は、スイートチリソースをはじめ、オイスターソース、トウバンジヤンテンメンジヤンをはじめとする様々な醬。それまではうまく作れていた煮物だったのに、八角を入れて味をぶち壊したこともある。もちろんこういったスパイスの類いも廃棄である。
 塩、、みりん、醬油などは必ず使い切って買い替えているのに、挑戦した新顔の調味料はすべて廃棄という現実に直面して、あまりにもったいないので、以降は、そういった類いのものには手を出さないことにした。すべて自分のできる範囲のものでよしと決めたら、とても楽になった。
 マイライフシリーズもとても役に立ったが、もう一冊、役に立ったのが、『田川律〔台所だいどこ〕術・なにが男の料理だ!』である。彼は音楽評論家、翻訳家で、子どもの頃から一家の「少年主婦」として家事をこなしていた人である。作り方ばかりではなく、文章もたくさん載っていて、
「生活というのは、日常のすべてのことを自分でやることだ、とつくづく思った」
 という一文を読んで、まさにその通りと感激した覚えがある。
「『さあ、料理を作るぞ』と構えるんじゃないくて、『腹減ったし、メシでも作ろか』とごくごくあたり前にやること。道具を揃えるんじゃなくて、あり合わせの材料で巧みにやること」
 とも書いてあって、私としてはまたまた深くうなずくしかなかった。
 この本のなかで、今でも作り続けているのが、「コンニャクとレバーのり煮」だ。材料はコンニャクが一人前で半丁、鶏レバー一人前百グラム、にんにく、一味唐辛子、醬油、酒、ごま油。うちには酒、ごま油がないので、みりんとオリーブオイルで代用した。この料理は調味料の分量は一切書かれておらず、にんにくはみじん切り、コンニャクは一口大にちぎる、レバーは適当な大きさに切る、とあるだけ。それでもとてもおいしい。最初はレバーがおいしくなるのかと思ったら、実は食材と調味料が合体した味を吸ったコンニャクが、めちゃくちゃおいしいのも発見だった。あるときはそこにゴボウを入れたり、ゴボウ+鶏レバー+鶏モモ肉だったりと、適当にバリエーションを加えている。料理下手の私でも、何も考えずに作れ、一人分の食材の量が書いてあるのがありがたかった。
 自炊をしているというと、未だに「すごいですね」などといわれるが、全然、すごくない。電子レンジも購入したが、冷凍食品はほとんど使わないので、ただ置いてあるだけだ。冬になったらカボチャの下ごしらえに使えるし、便利かもとは思っているのだが、そのときどうなるかはわからない。ものすごく適当に自炊を続けているけれど、私の場合は、まあ、こんなものでいいのではと考えているのである。

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次回は8月14日(水)公開予定です。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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