2019.9.29
罰を恐れずに言えば、神は「ゆるキャラ」、仏は「アイドル」なのだ
人の延長線上にあるのが仏。人を超えた存在が神
「仏教」という物語の中では、仏(ブッダ)とは目指すべき存在として描かれる。「成仏」という言葉を聞いたことがあると思うが、まさしく「仏に成る」という最終目標のことを指す。みんな、仏になりたくて頑張る。それが仏教である。
したがって、仏には様々な種類(釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・毘盧遮那仏など)があるが、すべて先輩アイドルなのである。僕たちはアイドルの研修生であり、『いつか釈迦パイセンのような後光が差して、苦しみから解き放たれた存在になろう…!』と思わせてくれる憧れの存在が「仏」なのだ。
それに対して、僕らは決して神にはなれない。それはまるで、僕らが二次元のキャラクターにはなれないように、生きている次元が違うと言ってもいいだろう。たとえば、神道では、あらゆる自然現象に「神」が宿ると説明され、森羅万象すべての現象を神の現れとして受け止める教え(「惟神の道」)が説かれる。しかも物・自然を問わず、あらゆる現象に神格を宿し、「八百万」と形容されるくらい数に限りがないとされる。
それってもう、ゆるキャラじゃないですか。
地元の特産品から、観光名所、企業まで、あらゆる存在に宿り、憑依し、擬態する。そして、僕たちの前に現れる。2015年のゆるキャラグランプリには、実に1727体もの有象無象のキャラクターが参加していたのだという。そんなゆるキャラに対して僕らができるのは、ただただ愛でるのみ。
『ふなっしーマジ可愛いwwww』
『オカザえもんシュールすぎて無理なんだけどwwwwww』
キャラが繰り広げるゆるやかな群像劇を、ただ受け止める。神々の遊びに我々が足を突っ込むことはできない。
だから、仏教では仏を見習って「修行」するのに対し、神道では神に対して「祭祀(祭り)」を行う。憧れの存在になるための努力と、人を超越した存在への接触、その違いだ。
同じような“尊い”存在の神と仏。それでもリスペクトの方向性が違うことが、これで少し理解してもらえたのではないでしょうか?
なので、『仏って神的なやつ?』という質問に対する答えは『全然違〜〜〜う!』なのだ。誰だって『前田敦子ってくまモン的なやつ?』って言われたら『え?』ってなるでしょ。どっちも総選挙みたいなことをやってるし、どっちも尊いから間違ってはないんだけど!
人の延長線上にあるのが仏。人を超えた存在が神。そのように理解するとわかりやすい。
※宇宙そのものの化身である仏(大日如来)がいたり、もちろん例外もあるのでその点はご了承ください。