2019.9.15
仏教の「宗派」とは、中華料理の満腹セットである!!
そんな俗世と浄土を行き来する、ユル〜い僧侶・稲田ズイキがお届けする仏教トーク。
前回は「夏の暑さを仏教的に乗り越える方法」についてでしたが、今回は言葉自体はよく聞く「宗派」に関して。「なぜこんなに数があるのか? 何が違うのか?」という疑問に対して、とあるたとえを使ってわかりやすくお伝えします。
仏教を語るうえで避けられないのが、「宗派」について。
「曹洞宗」や「真言宗」などは歴史の教科書にも書いてありますし、「宗派」という言葉自体は皆さんご存じのはず。
けれど「なぜ宗派がたくさんあるのか。何が違うのか」なんて問われても、ピンとこないですよね。
そりゃそうです、昨今において僧侶との接点を持つのは、法事かお盆くらい。
僧侶の読経を聞いて、
『どんなお経を唱えているんだろう?』
『どういう教えを信仰しているんだろう?』
なんて疑問よりも先に『ハァ? 何をブツブツ言うてんねん』が脳裏に浮かぶ気持ちは重々わかります。それでも、いざちょっと仏教に興味を持って調べていけば、必ず『宗派って面白い!』って思うはず。
今回は、宗派について明白に説明するために、「宗派」を中華料理でたとえたいと思います。
何を突然という感じだろうけど、中華料理屋に入って、メニューを眺めたとき、『うっわ……決めらんねぇ……』と思ったことありませんか? そんなとき、僕たちが選ぶのが「ラーメンと餃子と半チャーハンセット」なのだとしたら、宗派も同じ。宗派とは、お経のセット料理みたいなものなのだ。
お経マジで数多すぎ問題
中華でたとえる前に、まず大前提として「お経とは何か」を説明しておこう。この連載でも何回か説明していると思うが、「お経」と言われているものは、2500年前に「釈迦」という仏教の開祖が説いた言葉をその弟子がまとめたものだ。
そんな釈迦のすごさをわかりやすくイメージしてもらうために、簡単な図を用意した。
そう、永ちゃんがYAZAWAになったように、シッダールタはブッダとなったのだ。そして『俺はいいけど、YAZAWAはなんて言うかな?』に始まる数々のYAZAWA語録が伝説として言い伝えられているように、ブッダの言葉も弟子により記録され、現代まで残ったのである。
厳密に言えば、記録だけではない、たとえば、糸井重里がYAZAWAの話を聞いて矢沢永吉の自伝『成り上がり』を執筆したように、大昔よりブッダの言葉の解説や研究もされ始めた。その解説や研究こそが、すべて彼らのフォロワーが第二のYAZAWA・第二のブッダになるための教えなのだ。
こうしてまとめられた3種類のコンテンツを「三蔵」といい、現代では便宜的に「お経」と呼んでいる。
そんなお経は「八万四千」とも形容されるぐらい膨大な量が蓄積されている。全部で約3000タイトルにもおよぶのだそうだ(諸説あり)。
さらに厄介なのが、それらのお経が一見矛盾している内容も含まれていることである。というのも、釈迦の教えの説き方が、相手ありきのものだったからだ。たとえるなら、ブログではなく、Yahoo!知恵袋。すなわち、不特定多数に向けた言葉ではなく、相手の性格や能力、素質に応じて、十分に理解できるように教えを説いたのだ。それを「対機説法」と言う。
釈迦のレコメンドはウィットに富んでいて『仏の名前を念じ続けなさい』という教えもあれば『ずっと掃除してなさい』という教えも存在する。いわば、お経とは敏腕コンサルタント釈迦によるお悩み解決事例集なのである。
はてさて、そんな矛盾もはらんだ膨大な量のコンテンツが残されたとき、人類がどのような路をたどるのか、もうおわかりでしょう。そう、もめるのだ。
『お釈迦さまがおっしゃっていたのは、ルールを守りなさいということだ』
『いやいや、悟りは他者を救ってこそなんじゃないか?』
『よくわかんないし、とりあえず踊りません?』
難解なストーリーを提示した国民的アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の解釈で数多くのオタクが持論を展開したように、お経をどのように解釈するかで、数々の立場が生まれた。それが宗派なのだ。