2019.5.26
なぜ仏像の髪はブツブツなの? 仏のキャラデザの謎を説明してみた
ブツブツは悟りの証
ここで、お寺めぐりデートをしている際にドヤ顔ができる知識を一つ授けておこう。
実は、仏像に螺髪があるかないかで「仏 or ノット仏」の判断ができるのだ。
「え? 仏って一つじゃないの? それ以外もあるの?」
と思う人もいるはずなので、簡単に「仏のランク」について説明しておこう。
上の階級から順番に並べると、こうなる。
・如来
・菩薩
・明王
・天
上記のすべてを「仏」とまとめて呼ぶことが多いが、厳密には仏とは「如来」のことである。
如来とは、悟りに至った者、すなわちブッダのこと。
この如来の中には、いわゆるお釈迦さまの「釈迦如来」がいたり、ナムアミダブツで知られる「阿弥陀如来」や、病苦を救う「薬師如来」などがいる。
実はこのランクの中で悟りに至っているのは「如来」だけで、「菩薩」も「明王」「天」も、まだ修行中の身なのだ。
したがって、仏の象徴である螺髪も、如来にしか存在しないのである。
つまり、「ブツブツ頭=悟ってる=如来」と思ってくれたら問題ない。
なんのためについているかわからないあのブツブツは、「悟り発見機」として機能しているのだ。
(ただし「大日如来」だけは、如来だけど螺髪じゃないので要注意。大日如来は如来の中でも特別。「宇宙そのもの」と称される仏なのだ。テラ異次元!)
僧侶だけど、螺髪パーマにしてしまった
仏像のあのブツブツについて少しでも理解していただけただろうか。
もしも天然パーマや縮毛で悩んでいる人がいれば「こちとら2500年前から存在してる悟りのパーマじゃい!」と関西弁をかましてくれたら、仏も喜ぶし僕も喜ぶ。
「薄毛→ベイビーヘア」ならぬ「天パ→悟りヘア」である。
依然として悩める人の多いこのコンプレックスに、ブッダの髪型で少しでも光明をもたらすことができればと願うばかりだ。
さて、最後に余談だが、僕自身の髪の話を。
子供の頃は「宇宙人」だとか思っていたあの螺髪であったが、月日が経ち、僧侶となり、仏教に触れていく中で、いつのまにか一つの思いを胸に宿すことになった。
「僕も、螺髪にしたい」と。
当然だけど、煩悩まみれの僕なんかが悟りに至っているわけではない。
これは、推しの髪型を真似するオタクの気持ちに近い。
僧侶、つまり仏のトップオタクとしての「こんなに推しを愛しているんだぜ!?」という証明、さらには「俺の推しはこんなにもイカしてんだぜ!?」という世間へのアピールである。
その姿がこれだ。
仏教好きの美容師さんが考案した「ゴーダマパーマ」(釈迦の本名ゴーダマ・シッダールタから由来)である。
以前は、五劫思惟阿弥陀如来を真似て、髪型をアフロにしたこともある。
「こんな髪型にしたい」と思う僕は、僧侶として修行不足なのだろうか。
僧侶は丸坊主であるべきなんだろうか。もしかしたら賛否両論かもしれない。
でも、僕を突き動かしているのは、あるがまま「むき出しの仏ラブ」である。(そうでもなけりゃ、女子にモテないこんな髪型、やってたまるか!)
仏教と共に生きていく上で、「好き」という気持ちの表現は、絶対に自由であってほしい。多様性を受け入れられる仏教であってほしい。ラブだって信仰なのだ。
そんな願いを込めて、これからも僕は僧侶として先陣を切って「当然」や「常識」にとらわれない姿を頭頂部で表現し続けられたらと思います(毛根が耐えられる限り)。
みなさんも、どうか、自由な形で仏を、自分の好きなものを愛してくださいね。