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東京で6度目のオリンピック。「メダルは今回が最も近い」と飛び込み・寺内健が思う理由とは?

「メダルを獲れるだけの精神力を養えていなかった」。引退を経て、そう理解できるようになった。(撮影/熊谷貫)
「メダルを獲れるだけの精神力を養えていなかった」。引退を経て、そう理解できるようになった。(撮影/熊谷貫)

期待され、強く意識もしたアテネ、北京では届かなかったメダル……

「実はアトランタでは競技の3日前から39度台の高熱が出ていたんです。その状態で決勝に行けたので、万全だったら入賞はいけるんじゃないか、と。実際シドニーでは5位入賞で、あと2人抜かせばメダルというところまできた。でもここからつらくなっていきました。メダルが近くにあるはずなのに、どうしてこんなに遠いのかって……」

追い込めば追い込むほど、きっとメダルは近づいてくると考えた。

メダル獲得が期待された2004年のアテネ、3m板飛び込み決勝。
ここで寺内は初めての経験をする。彼はひと呼吸置いて、言葉を吐き出すように言った。

「あのとき、頭の中が真っ白になってしまったんです」

3度目のオリンピック、日本人エースの背中にのしかかっていた重圧。明らかに心身のバランスが崩れていたことは、後になって気づかされる。

「アテネに関して言えば、その年までの国際大会で結果を出していたし、アテネの金メダル候補にも勝っていました。今やっていることに間違いはない。そう思っていたのに、(決勝では)頭が真っ白になって倒れそうになった。ここまでやってきたことをしっかり証明しなきゃいけないって自分に課してきたら、結局、積み上げてきた自信までなくしてしまうっていう精神状態まで追いやっていたんです。8位入賞っていうと聞こえはいいかもしれません。でもなぜメダルが取れないんだ、という思いばかりが募りました」

覚悟が甘い、背負い切れていない。彼はそう決めつける。そして「メダルを獲るための覚悟も引退も背負うことにした」。

北京でも届かなかった。

その理由は、復帰してから理解できることになる。「メダルを獲れるだけの精神力を養えていない」ということ。サラリーマン生活を経て、外から競技を見て、知って、自分を見つめ直して。それでも苦しんでロンドンには間に合わず、リオでは予選敗退に終わった。すべてを経験して、今ようやくメダルに向き合える真の力を手にしつつある。

追い込んで得るものではなかった。日常からこだわり、真摯に向き合い、応援される力も借りる。どこかリラックスして、どこか楽しんで。競技できることに感謝して。重すぎる使命感よりも重すぎない充足感が、己の精神力を強くした。

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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