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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」

田臥勇太の情熱は自分と人を動かし、ラッキーを引き寄せてきた

バスケ愛は、バスケに出合った少年時代からいまも変わらない。(撮影/熊谷貫)
バスケ愛は、バスケに出合った少年時代からいまも変わらない。(撮影/熊谷貫)

3年間、公式戦で負けたのは1試合! マンガよりすごい能代工業時代

高校バスケ界の超名門、秋田県の能代工業との出合いが、田臥の成長を何段階も引き上げていくことになる。「必勝不敗」を掲げ、勝ち続けなければならない部の宿命と向き合う3年間。前人未踏の9冠を成し遂げ、公式戦で負けたのは1試合のみ。ここで学べたことは非常に多かったと田臥は言う。

「走るバスケ、ルーズボールで負けない泥臭さなど、自分のバスケットボールのスタイルを確立していくきっかけにはなりました。負けることが許されないというよりも、勝つことを期待されている高校。これは僕たちがつくったんじゃなく、偉大な先輩たちが築いてきて受け継がれたこと。練習中、レイアップのシュートを1本外すだけで雰囲気がピリッとする。1つのミス、1つのプレーの重みというのを、強く感じることができました」

実力も人気も。高校野球では横浜高の松坂フィーバー、高校バスケでは能代工の田臥フィーバー。同じ世代の松坂のことはもちろん知っていたという。

「自宅から近くに横浜高校がありましたし、友達も通っていましたから。凄い人だなって、いちファンとして見ていました」

自分のフィーバーぶりはつゆ知らず。周囲の喧騒は、田臥の耳には届いてこなかった。

「いい意味で能代は田舎ですから、騒がれているような感覚なんてまったくなかったんですよ。下宿先と高校を往復して、バスケばかりやっていましたし。逆にそれが良かったのかもしれませんね。バスケに集中できる環境でしたから」

同級生にはともに1年からレギュラーを張る菊地勇樹、若月徹がいた。1つ上の先輩には同じポイントガードの畑山陽一や、高校卒業後にラグビーに転向する小嶋信哉らタレントがひしめいていた。

「先輩、同級生、後輩と素晴らしい仲間に恵まれたというところもラッキーでした。マネージャーがしっかりしているのも部の伝統。勝たなきゃいけないチームで、みんなで力を合わせていく大切さというものを学んだ気がしますね」

1本のレイアップシュートにこだわってきたからこそ、切磋琢磨があってこそ、周囲と力を合わせてこそ、今の田臥がある。
 
ラッキー。
彼は何度もその言葉を使った。
バスケとの出合いも、バスケが強かった小学校も、高みを目指せた能代工業での環境も。
バスケに対する強い意欲と強い意志が介在してこそのラッキー。
出合っても、そこで踏みとどまっていたら浮遊するラッキーをつかめないに違いない。刺激をもらうだけでなく、周囲に刺激を与えていなかったらラッキーをつかめないに違いない。

バスケットへの情熱が自分を動かし、人を動かし、ラッキーを引き寄せる。
田臥とバスケットの幸福な関係は、次のステップに進むことになる。

第2回に続く)

profile
たぶせ・ゆうた/1980年10月5日生まれ、神奈川県横浜市出身。B.LEAGUE栃木ブレックス所属のプロバスケットボール選手。3年連続で高校3冠、史上初の9冠を達成した能代工業から、ブリガムヤング大学ハワイ校を経て2002年トヨタ自動車アルバルクに入団。新人王を受賞。04年、NBAフェニックス・サンズと契約。日本人初のNBAプレーヤーに。08年、JBL(当時)のリンク栃木ブレックスに入団すると、09-10年シーズン初優勝を果たす。16-17年スタートしたB.LEAGUEでも初代王者に。
試合など最新情報はリンク栃木ブレックスの公式HPでチェック! 
https://www.tochigibrex.jp/

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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