2020.11.8
恐いのは、海か幽霊か—”事故物件”対談 松原タニシ氏×鈴木光司氏 <前編>
生きるために海に出る選択、 死なないために海に出ない選択
鈴木 ビビらないの? 事故物件に住んでて。
松原 僕は航海に出たことがないからわからないんですけど、海って毎回違う危険があるイメージなんですよね。でも、事故物件って一軒目に住むときがチャレンジなだけなんですよ。もしかしたら祟り殺されるんじゃないか、呪い殺されるんじゃないかってビビりながら住んでみて、結局一年間大丈夫だった、僕は生きているってなったときに、恐怖みたいなものは乗り越えちゃったんですよね。
鈴木 そういうものなんだ。
松原 はい。二軒目に住んだときも、ちょっとした怪現象は起きますけど、まあこの程度かと。だから海に比べて全然変化がないんですよ。
鈴木 なるほど、確かに俺にも似たような感覚はあったな。ヨットで八丈島に行った帰りに、台風が突如進路を90度変えて、こちらに向かってきちゃって。10時間近く舵を握りっぱなしでどうにか切り抜けたんだけど、それが最初の事故物件に住んだときの感覚と似てるかも。
松原 僕にしてみたら、八丈島にヨットで行く時点で怖いですよ。
鈴木 台風を切り抜けたとき、気を抜くわけではないけど、これでひと回り成長したなっていう実感がすごくあった。さらに、海に対する怖さが身に染みて、体験から学んでむちゃをしなくなった。それまで、仲間内から「なんでそんなむちゃばかりするんだ」と言われてたんだけどね。その2年後に小笠原まで航海したときは、台風が行き過ぎるのを、八丈島できちんと待った。
松原 ちゃんと経験があるから、対処法がわかったわけですよね。
鈴木 そう考えると、やっぱり事故物件に何軒も何軒も住み続けるのはすごいよ。
松原 うーん、台風は明らかに危険なものですけど、事故物件は一回乗り越えてしまうと、危険じゃないってことがわかっちゃうんですよね。だから、むしろ危険かもしれない何かを探してるという感じです。でも、なんか“死を感じたい”っていう側面はあるかもしれません。ヤバい、死ぬかもしれないっていうギリギリのところを、ちょうどいい感じで乗り越えられたら、生きていることを実感するのかな、みたいな。幽霊なのか怪奇現象なのかわからないけど、僕は安全圏から死を感じてみたい。でも、海は本当に死ぬから(笑)。
鈴木 俺の場合は、サバイバル術を身につけたいって気持ちがすごくあるんだよね。どうやったら力強く、たくましく生きていけるか。陸上だとその経験を積むところが少ないけど、海にはトレーニングの場が豊富。本当に危険なものは何かっていう勘が養われる。
松原 生きるための勘ですよね。死なないための勘。
鈴木 データや論理をとことん突き詰めていって、それでも最後の最後にどうしても予測できないことが起きたときは、勘に頼るしかないんだよ。今年の夏も、突如、高気圧が割れて、そこに台風がすいっと入って予測不可能な進路をとったことがあった。なんで気象予報士が予想できないの?ってコメンテーターが言うんだけど、俺に言わせると、自然は「予測不可能」としか言いようがないんだよね。自然現象を100%予測するのは不可能だと身に染みて感じているからこそ、極限での勘をどうやって養うかに心血を注ぐ。生きるか死ぬかの経験をかいくぐらないと、この勘は養われない。そして、養われた勘は、車の運転とか、陸上でもものすごく役に立つ。苛酷な状況の中でも生き抜たくましさを養うのが、人生の最終テーマだね。
松原 なんか、そのお話、すごく合点がいきます。鈴木さんは肉体的、直感的に自分が生きるため、死なないために極限まで限界を知ろうとして勘を研ぎ澄ましているってことですよね。僕は、車の運転もできないんです。
鈴木 運転しないの?
松原 右折するのが怖いんですよ。タイミングがわからなくて。だから、免許も原付バイクで止めてるんです。結局、逃げ続けてるんですよね。海に出るのも怖い、車を運転するのも怖い。だから、死なないためにずっと安全圏にい続ける人生だなって。