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エンパシーがAIにないのはどうしてか。その理由は身体を通した「経験」の有無にあるんじゃないか――【ブレイディみかこさん×西加奈子さん『SISTER“FOOT”EMPATHY』発売記念対談/後編】

6月26日にブレイディみかこさんの新刊「『SISTER“FOOT”EMPATHY』が発売になりました。発売を記念して作家の西加奈子さんとブレイディみかこさんの特別対談を公開します。

前編に続き後編では、多様性に対する考え方、そして今だからこそ伝えたいエンパシーについてなど、対話のテーマは広がります。

写真/Shu Tomioka(ブレイディさん)、若木信吾(西さん)
構成/小沼理
対談は5月末、オンラインで実施。ブレイディみかこさん(左)、西加奈子さん(右)
対談は5月末、オンラインで実施。ブレイディみかこさん(左)、西加奈子さん(右)

「かわいそう」にも、芸術作品にもされないために

西 『SISTER“FOOT”EMPATHY』でも、他の本でもそうですが、ブレイディさんはどんなマイノリティも弱者の檻に閉じ込めないようにしていますよね。「あなたは悪くない」と言い続けるのではなくて、同じ目線で隣に立って「勉強してみよう、一緒に頑張ろう」といつも言っている。上から目線じゃないことで、たくさんのことが伝わってきます。

ブレイディ 最近『アドレセンス』というNetflixのドラマがヒットしていました。13歳の少年が同じ学校の女子生徒を殺害し、その事件にインセルやマノスフィア、ミソジニーといった問題が絡んでくるドラマです。イギリス発の作品で、少年の父親役を演じているスティーヴン・グレアムが脚本も共同で手がけています。私は彼が出ている『ディス・イズ・イングランド』という映画がすごく好きで、良い役者さんなのでずっと追っているんですよね。
 『アドレセンス』は、そのスティーヴンが妻のハンナ・ウォルターズと一緒に立ち上げた制作会社が作りました。この制作会社では、イギリスのテレビ業界や俳優の世界に少なくなっている労働者階級出身の人がたちが、脚本家やディレクターとしてデビューできるためのコンペなどを精力的に行っています。
 そのスティーヴンが最近のインタビューで、「メディアの世界に労働者階級出身者が少なすぎて、今のイギリスの作品での描かれ方がすごく上から目線になっている」と嘆いていました。「かわいそうな経済弱者たち」か、芸術作品みたいな描かれ方をしている。でも、俺たちだって同じ世界に住んでいて、ジョークを言って笑ったりするしな、って。

西 悪いこともするしね。

ブレイディ 邪悪なことを考えている奴もいるし、言っちゃいけないようなユーモアで自分たちの境遇を笑い飛ばすようなこともする。30年くらい前はそういう姿がドラマや映画でたくさん描かれていたのに、今は見られなくなっているのがつらいとスティーヴンは言っていました。
 それは本当にそうなんですよね。労働者階級にもちゃんと生活があるのに、上から助けてあげないと立ち上がる力がない「弱くみじめな人たち」だと思われていることがある。いじめられていて、かわいそうで、だから私たちが何とかしてあげないといけないんですよ、という描かれ方をされてしまうと、ムカっとくるのはわかる。私もそこから出てきた人間っていう意識はいつまで経っても抜けないから。
 この話って、女性にもスライドできるんじゃないかと思う。政治的に弱い立場だから、間違ったことを言っちゃいけない、清く正しく美しくなくちゃいけないのかって、そんなことはない。他の人の手で芸術作品にされないために、やっぱり自分たちで言っていかないといけないんだと感じます。

西 本当にそう思います。今は変わってきているかもしれないですけど、カナダにいた時に行った映画祭で先住民族を描いた映画が多かったんです。とても素晴らしかったんだけど、どれもすごく神聖な描かれ方をしているのが気になって。木に額をつけて対話したりとか。「もちろん真実だし実際神聖ではあるだろうけど、めっちゃ雑な瞬間もあるし嫌な奴もおると思うで」と思ったんです。
 それに、神聖な面ばかりを強調すると、神聖な存在だから守らないといけない、という考えにもなりうる。だけどそうじゃなくて、人間は全て平等に守られないといけないはず。嫌な奴もクソ野郎もいるけど、それでも守られるべきだから平等なんだと思います。
 もちろん女性もそう。今は間違ったことをした相手に容赦ない人が多いじゃないですか。特にフェミニストが何か一つでも失敗すると鬼の首を取ったみたいに責められる。でも、人間が間違うのは当たり前ですよね。みんな完璧じゃないってことはしつこく言っていくべきだし、ブレイディさんがこの本でおっしゃっていることにも通じると思います。

今こそエンパシーについて発信し続けていきたい

西 本の中で、武田砂鉄さんに「もうエンパシーとか飽きたでしょ」と言われた話を書かれていましたね。

ブレイディ そうそう(笑)。

西 私、プロレスラーの棚橋弘至さんの大ファンなんです。棚橋さんって今の日本のプロレスの盛り上がりを支えた功労者なんですよ。プロレスの人気が低迷していた時に、一人でメディアに出まくったり地方を回りまくったりして支えた人で。
 その棚橋さんも、テレビに出ると同じような発言を求められることが多かったんですって。でも、みんなもう飽きてるだろうと思ってやめちゃうのは違うんだとおっしゃっていました。同じことを何回言っても、その度に新しく知ってくれる人がいる。だから言い続けたんだと。めちゃくちゃすごいなと思いました。
 言い方が悪いんですけど、文芸の世界にもブームみたいなものがあるじゃないですか。フェミニズムやシスターフッドや多様性のことも、その一つみたいになってしまうことがある。しかも「そのブーム的なもの」の移り変わりが、最近は特に早くなっている気がしています。

ブレイディ 今はなんでも早いからね。

西 もしかしたら文芸の世界では、「シスターフッドってまだ言ってるの?」みたいに感じる人がいるかもしれない。でも、いや、マジで全然知られてへんから! と思います。私たちは意識的に本を選んで読むから、同じようなことを書いてるな、飽きたな、って思うこともあるかもしれないけど、全体からするとそれほど多くを占めるわけじゃないし、世間一般には全然浸透していないですよね。
 それにフェミニズムやシスターフッドや多様性って「流行」じゃなくて、もっと長い期間で見るものだから。

私はBlack Lives Matterのことを時間をかけて少しずつ勉強しているんですけど、BLMもあれだけ話題になったのに、今はみんな別の「悲劇」に移行しているように感じています。BLMの話をすると「懐かしいね」というような。もちろん今起こっている大きな悲劇に集中することは大切だけど、悲劇に「流行」はないはずですよね。
 SNSをやっていない私でさえそう思うから、SNSのスピードは本当にすさまじいんじゃないかと思います。小説とかエッセイって、ものすごく遅いじゃないですか。発表まですごく時間がかかって、連載なんてしようものなら書籍にまとまるのは2、3年後になります。作家をはじめた頃はそれがもどかしくて、出した時に古くなってしまうんじゃないかと心配していました。でも、ある時にそうじゃないと気づいた。古い、ということはつまり、その問題について考え続けることができるんだと。だから最近はむしろ遅いことの強みとか、言い続けることの大切さについてすごく考えているんです。

ブレイディ そうですね。
 まあエンパシーに関しては、たしかに飽きてたんです(笑)。どこに行ってもそればっかり求められるから。だけど今年はまたしっかり言っていかなくちゃいけないって、自分の中で再燃してる。だってイーロン・マスクが「エンパシーは西洋文明のバグだ」とか言い出しているんだから。
イーロンはAI「Grok」の開発を進めているし、世界的にもAIの導入が拡大しています。今、イギリスではNHS(公的医療保険制度)が人手不足や資金不足などにより大変なことになっていて、政府は効率化のためにAIを導入しようとしています。でも、AIはメンタルヘルスの分野を担当させるレベルにはまだ至っていないみたいです。感情的になって相手に寄り添い、「そうですね、わかります」って慰めるふりはAIでもできるみたいなんですが、他者の靴を履いて、苦言を呈してでもその人のためになるだろうと自分が思うことを言ったりはできない。
AIって、膨大なデータを持っているはずじゃないですか。私たちが「他者への想像力を働かせる」といったって、読んだ本の数も出会った人の数もAIのデータ量に比べれば限られている。それでも人間の方がエンパシーの能力があるというのは何なんだろうと、最近よく考えます。
 エンパシーがAIにないのはどうしてか。考えてみると、やっぱりその違いは「経験」じゃないかなと思います。AIにできなくて人間にできることって、身体性をもって、そして時間をかけて何かを経験することじゃないですか。生理になったのに生理用品がなくて困った時に、たまたま隣にいた女性が自分のをくれた。そういう時にどれだけ助かるか。その時の体験があるから、後々自分は困っている人の存在が見えるようになったんだとか、AIには身体がないから、そうした経験は一切できない。知識があっても身体的な経験がないと、そういう時に生まれる気持ちや人間の変化がわからないわけですよね。

西 私はなんでも「遅い」人間で、AIのことも詳しくはないのですが、経験が大事と言うのは本当にそうだと思います。

ブレイディ この話は、「女たちのストライキ —みんなでやっちゃえ!—」というエッセイで書いたアイスランドのウィメンズ・ストライキにもつながります。1975年10月24日、アイスランドの女性たちの90%が男女間の賃金格差などへの抗議としていっせいにストライキをした。まだSNSがなかった時代に、なぜそれほどの動員ができたのか。
 実は今、このストライキを小説に書けないかと思って色々と調べているんですけど、当時はものすごい数の草の根のグループがあったそうです。政治的なフェミニストグループだけじゃなくて、趣味とか、子どもを預け合うグループも含めてね。民間ベースの女性のグループがたくさんあって、ストライキの前にはそのグループのリーダーたちが集まって「なんとか合意して一緒にやりましょう」と話し合っていた。身体的な、経験的なつながりがあったグループがそれぞれの地域に存在し、それが一つにまとまったから、90%の動員に至ったんだと、色々な資料に書かれています。
 これからはますますAIが生活に入り込んでくるだろうけど、身体性のある経験ができること、エンパシーの能力があることは、今後、人間が人間であることの証になっていくと思います。

西 人類学者の山極寿一さんが、ゴリラは視覚と聴覚以外を共有すると信頼し合えるとおっしゃっていたのを思い出しました。触覚や嗅覚、味覚といったなかなか共有し得ないものを共有できた時に、信頼関係が生まれるらしいんです。人間も同じところがあるけれど、SNSは視覚と聴覚ばかりで繋がってしまうからなかなか信頼関係が生まれないんだ、ともお話ししていました。
 『ワイルドサイドをほっつき歩け』で、ブレイディさんがデヴィッドという金持ちのナショナリストについて書いた話がありました。大嫌いだったけど、亡くなった時に誰よりも泣いてしまった、っていう。この感情も、AIにはまだきっとわからないですよね。ポリコレ的にアウトなことを言いまくるのに、なんか放っておけない。「情」とでも言うべきものなのかもしれないけど、そこに人間の可能性があると感じます。

 どんなマイノリティもそうかもしれないですけど、完全に意見が一緒なら仲がいいってわけではないじゃないですか。ウィメンズ・ストライキの90%の女性たちも、きっと普段はお互いに「あいつまたこんなこと言ってるわ……」ってうんざりしたりして、ばらばらだったはずで。
 コンサバな人、ラディカルな人、女性的な格好が好きな人、嫌いな人。みんな普段は「ちょっとな」と思う部分があるけど、でもそれだけではないし、同じ方向を向くことも出来る。その感覚で、ずるずるとやっていきたいです。

ブレイディ うんうん。そういう感覚は忘れずにいたいよね。

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新刊紹介

ブレイディみかこ

●ライター・コラムニスト。1996年より英国在住。2017年『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で第16回新潮ドキュメント賞受賞。19年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第73回毎日出版文化賞特別賞受賞、第2回Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞などを受賞。小説作品に『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)、『リスペクト ――R・E・S・P・E・C・T』(筑摩書房)などがある。近著には『地べたから考える――世界はそこだけじゃないから』(筑摩書房)。

西加奈子

にしかなこ● 2004年に『あおい』でデビュー。07年『通天閣』で織田作之助賞、13年『ふくわらい』で河合隼雄物語賞、15年に『サラバ!』で直木賞を受賞。
23年、カナダでの闘病生活を綴った初のノンフィクション『くもをさがす』も話題に。著書に『さくら』『円卓』『漁港の肉子ちゃん』『ふる』『まく子』『i』『おまじない』『わたしに会いたい』など多数。現在は東京、中日、北海道、西日本各新聞にて初の新聞連載小説『きずもの』を執筆中。

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