2025.6.26
“イズム”をうまく扱えない人に対しても「いけるいける!」みたいな感じでそばにいてくれるのがブレイディさんらしい――【ブレイディみかこさん×西加奈子さん『SISTER“FOOT”EMPATHY』発売記念対談/前編】
パワフルでなくても、完璧じゃなくてもいい。そんなフェミニズム、そしてシスターフッドの可能性を考えます。
写真/Shu Tomioka(ブレイディさん) 若木信吾(西さん)
構成/小沼理

政治性と日常、二つのシスターフッドを両立させたい
ブレイディ お久しぶりです。オンラインではありますけど、西さんとまたお話しできてうれしいです。前に直接お会いしたのはいつでしたっけ?
西 たしか2019年の10月です。イギリスの文学祭に私が行った時ですよ。
ブレイディ ロンドンで大きな環境デモがあった日だ。
西 そうそう! 私がカナダに行く直前の時期で、そのあとすぐコロナ禍がはじまって。それから今までの間に私は乳がんになり、ブレイディさんもお連れ合いがご病気をされて、お互い色々ありましたね。
新しいエッセイ集『SISTER“FOOT”EMPATHY』、読みました。私はいつもブレイディさんの本を読むと泣いちゃうんですけど、今回もやっぱり泣いちゃいましたよ。
ブレイディ うれしい。そんな読み方をしてくださる方は珍しい気がします。
西 ほんまですか? しかも、「なんでここで泣くんやろ?」ってところで泣いちゃうんですよ。
欧米圏では作家の「ボイス(Voice)」って言葉をよく使いますよね? 日本語だと「文体」が近いけどそれだけではなくて、もっと色々なものを含めた、本当に「ボイス」としか言い表せないもの。私はブレイディさんのボイスがむちゃくちゃ琴線に触れるんだと思います。
ブレイディ 具体的にどこで泣いていただいたんでしょう?
西 たとえば「自分の体が嫌いな少女たち」というルッキズムについてのエッセイで、自分の外見を気にして摂食障害になった女の子のことを書いています。「ボディ・ポジティブ」という考え方が広まる一方で、若い子たちはSNSで自身の外見についてコメントされたり、加工修正された美しいイメージに触れ続けたりして、どんどん身を削られていく状況がある。この状況をシスターフッド的にどうすればいいのだろう、と考えるエッセイです。
ブレイディさんは「はっきり言って、わからない」と書いていました。でも、「ただ、冒頭で紹介した少女がどうなったかについては、ここに記しておきたい」「少女は数学が好きな自分に気がついたのだ」と続ける。ここで泣いちゃいました。「わからない」と書いていることが信頼できると感じたし、それでも光があるんだということを提示してくれている。
「はじめに」で、シスターフッドはポリティカルになりすぎると分断を生むし、ポリティカルじゃなさすぎるとただの慰めあいになる。その中で、両方できないだろうかと書かれていましたね。
ブレイディ 「シスターフッド」はもともと、「女性どうしのつながり」や「姉妹のような関係」を指す昔からあった言葉です。同時に、「共通の目的のために闘う女性たちの連帯」を意味するポリティカルな言葉でもある。両方の側面がある言葉なんだけど、近年はそれがポリティカルになりすぎているというか、政治用語になっちゃっているように感じていました。たしかに両方をやっていくのは難しいんだけど、あまりにも二つがかけ離れてしまってもうまくいかない。
西 最初に「はじめに」を読んだ時、「だいぶそれはむずいぞ」と思ったんです。私の感覚では、2派に分かれてやっていくしかないと思っていたから。それで、どういうことかなと思いながら読んでいったら、この「自分の体が嫌いな少女たち」がまさにそれを体現していたんです。「わからん、むずい。むずいけどな、でもできるかもしれんやん?」っていう書き方が、信じられる希望に感じたんです。
「自分の体が嫌いな少女たち」は「たぶんわれわれはまったく無力というわけでもない」という一文で終えられていますよね。ここで「私たちにはパワーがある」と言われたら、ついていけない人がいっぱいいると思うんですよ。私は多分勇気をもらうけど、それは年齢もあるし、ある程度自立しているし、フェミニズムのことを私なりに勉強しているからで。でも、フェミニズムの大切さはわかりながら、どうしても自分の体が嫌いな人もいる。むしろそういう人たちの方が多いのではないか。
フェミニズムのようなイズムは絶対に必要だし、進んでいくべきだと思います。ただ、みんなの気持ち、待遇、状況を良くしていくはずのイズムをうまく扱えない自分に対して、罪悪感を持っている人が私の周りにはすごく多い。そういう人たちに対して「いや、いけるいける!」みたいな感じでそばにいてくれるのが、ブレイディさんらしいなと思いました。
ブレイディ ありがとうございます。日本の女性をめぐっては、早く変わったほうがいいのに変わらないような問題が山積み、という状況が何十年も続いているじゃないですか。その背景には、ポリティカルな意味と、本来の意味でのシスターフッドがあまりに離れていて、別物として存在しているから、女性側からの動きがなかなか大きくならないことがあるんじゃないかと考えていました。
『SISTER“FOOT”EMPATHY』は女性向けファッション誌『SPUR』での連載をまとめたもので、2022年から2025年の春ごろまでに書いたものを収録しています。イギリスでも毎日色々なことが起こるから、「こっちはこんな感じですよ」と伝えるつもりで書いていたんだけど、その中でもイズムの問題は考え続けていたかな。
この頃、同時に『MORE』でも連載していたんです。
西 おおー、いいですね。
ブレイディ 『MORE』も女性向けのファッション誌だけど、こちらは読者の20代後半くらいの女性たちと定期的に座談会をして、そこからテーマを拾って書くという連載でした。その連載が、めっちゃ私としてはストラグルしたの。
私はイギリスに来てもう30年になるから、日本の女性たちとはあまり接点がない。20代後半となると世代の差も大きいし、しかも『MORE』って、私が若い頃からあった雑誌だけど、ちょっとコンサバできちんと仕事をして、キャリアのことも考えて……という子たちが読むという印象があり……。私は何しろ、「人生なんてノー・フューチャー」なパンク娘でしたから、ほとんど読んだことがなかった。ファッションでもなんでも、若い頃の私と対極にいるような子たちが読者層だと思った。
だから本当、あんなに苦しんだ連載はなかった(笑)。でも、私にとって大きなエンパシー経験にもなりました。人生観や政治的な考え方が自分と異なるベクトルにいる女性たちと話をしながら、彼女たちの靴を履くように努めて、何を言ってあげられるんだろうとずっと考えていたんです。
『MORE』が同時進行で動いていたので、『SPUR』の連載でも、ポリティカルと日常的なつきあいや慰めの二つをどう繋ぎ合わせるかを考えることになったんだと思います。