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二村ヒトシに影響を受けた人はなぜみんな気持ち悪いのか?【新井英樹×二村ヒトシ×麻知子×山下素童座談会(後編)】

何者かになりたい欲望=童貞っぽさ?

二村 僕の本を読んで、よーし、これからモテまくるぞと意気込んでいる男は総じて気持ち悪い(笑)。
そういう人たちに、僕はぜひ、この本の紙の版には残念ながら収録されなかった山下さんの「「何者かになりたい」という願望をどう捨てる? 映画「ちひろさん」に似た風俗嬢と、ゴールデン街で4年ぶりの対話」という短篇を読んでいただきたいのです(電子書籍版には限定特典「人間は生きているだけでどうしようもなく何者かであるということ」として収録)。
あれって、この本の第2.5章だよね。とても重要なことが書かれている。20世紀のすごい女性哲学者ハンナ・アーレントまで出てくる。風俗とゴールデン街だけじゃなく現代哲学にも詳しい山下さん。

山下 ありがとうございます。

二村 アーレントの言葉を借りた山下さんは、何者かになりたい風俗嬢に、「人間は生きているだけで誰しもが個性的で、どうしようもなく何者かであることを宿命づけられてしまっている存在だから、何者かになりたいと思うことこそがおかしな話」と答える。
続けて、「何者かになりたいから文章を書くという呪縛から解き放たれると、より文章を書くのが楽しくなった」とも書いてある。「自分が出会う誰しもが皆どうしようもなく何者かであってしまうことの面白さを見ることができるようになった。それから人と関わることも楽しいと思えるようになった」と。

山下 何者かになりたいかという願望は、僕の本にも書いてある「自分のことを受け入れてほしいという気持ち」が大きい状態ですよね。要は、僕が散々言っている“気持ち悪い二村さん”に近い姿。
ただ承認されたい感情にはキリがないし、どうしてもそこに固執してしまうと、視野が狭くなるというか、世界や他者を正確に捉えられないと悟ったんです。

麻知子 あと単純に、自分が何者かになりたいと思わない方が肩の力も抜けて楽よね。私も20代の頃は何者かになりたいと思っていたけど、今はお店が楽しすぎて、これから先もずっとお店に立てれたらいいなくらいに気楽に思ってる。

新井 俺も年を食えば食うほど、先のことを考えなくなったかも。いま楽しければいいやってかんじ。

二村 いまの話を聞いていると、“何者かになりたい”と固執している状態って、非モテ的な童貞っぽさとも重なると思えてきた。
モテないのを他人のせいにして、「俺を愛さない現実の女が悪い、女は敵だ」って断定したり、逆に「俺は女性の話をちゃんと聴ける男になれた!」と自分に言いきかせてナンパ師っぽくふるまって玉砕したり……。「何者かになりたいのに、何者にもなれない」という劣等感が他責の念や自己啓発と結びついてしまうと、たしかにキモい。
でも、山下さんの新刊には、そういう劣等感がまったく感じられない。自責でも他責でもなく、“世の中や人生ってこんなもんだ”とある意味、達観したような恋愛を描いている。

二村「山下さんは、中動態的な恋愛の本質を捉えている」

新井 そうだね。俺が好きな4章のシーンで、女の子のユーチューバーとデートする時、お目当てのワンタンメン屋が臨時休業していたシーンがあるじゃん。その時に女の子は、自分のせいでも、他人のせいにするでもなく、ただただ笑っていて、それを見た山下さんが安心する。その後、目的もなくぶらぶら歩いて、ふらっとバーミヤンに辿り着く。
この一連の流れって、まさにいま二村さんが言っていたことだよね。山下さんの文章には、偶然に流されていくような自然さを感じる。

二村 まさに哲学でちょっとブームになってる“中動態”という考え方に近いのかな。ざっくりとした解釈ですが、中動態とは能動的でも受動的でもない、いわば自分の行動が「する/される」といった明確な意思とも他者からの強制とも離れた状態を指し示す概念です。
ワンタンメン屋が偶然閉まっていたシーンが、まさにそれ。店が閉まっていたのは、自分のせいでもなければ、他人に非があるわけでもない。山下さんもユーチューバーの女の子も、誰かのせいにするわけでもなく、偶然性や不確定性をそのまま受け止めて楽しんでいる。
それこそが恋愛の本質だと思うんです。理屈や損得勘定を度外視した関係性でいたほうが、ガチガチに目的を決めずに行動したほうが、恋愛においては楽しいはず。
この言語化が難しい曖昧だけど重要な空気を、山下さんはさりげなく描き切っている。中動態という言葉は山下さんは本文中では使ってないけど、ハンナ・アーレントが出てきたということは、まちがいなく結びついてると思うんです。

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新刊紹介

山下素童

1992年生まれ。現在は無職。著書に『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』『彼女が僕としたセックスは動画の中と完全に同じだった』。

Twitter@sirotodotei

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