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日本の歌詞は恋愛至上主義?フィクション化する恋愛と都市文化【児玉雨子×三宅香帆 古典対談】

江戸っ子は「洗練」だけを見ている

三宅 今回近世文芸に触れて新鮮だったのは、まさにそこでした。近世文芸には「自分たちは粋な江戸人である」という誇りが共通しているし、逆に「そこから外れるとダサいし、ダサいやつは笑っていい対象なんだ」という価値観も根強い。洒落本なんて「遊里でこういう振る舞いはダサいし、笑われるぞ」という話ばかりですよね。私が読んでいた平安時代の文芸は、読み手も書き手も京都の貴族であることが前提だから、あんまりそこの規範が問題にならないんです。

児玉 たしかに近世文芸の「ダサい」は独特の感覚だと私も思います。たとえば「女性のお風呂をのぞき見するな」というのは、現代だと社会的に犯罪ですし、ジェンダー差別の視点も入ってきます。一方、近世文芸では「のぞきをする者は洗練されていない、ダサいからダメ」という判断になるんです。

三宅 そういえば最近は「ダサい」という言葉をあまり聞かなくなりましたね。今は、こういう振る舞いは正しい正しくない、間違ってる間違ってない、はみんな言うけれど、格好いいか、ダサいかは判断の基準にならない時代なのかもしれません。

児玉 近世の作品を読んでいると「おのぼりさんはダサい」というのを強烈に感じます。都会と田舎の扱いの差がひどいんです。たとえばタイトル『江戸POP道中文字栗毛』のもとになった『東海道中膝栗毛』も、弥次郎兵衛と喜多八は江戸っ子のように書かれていたけれど、あまりに素行が悪くて読者から「こんなのは江戸っ子じゃない」とめちゃくちゃクレームが入ったから、作者が設定を駿河の国の出身に変えてしまった。この話、静岡県の人は怒るべき話ですけどね!

三宅 今も地方からおのぼりさんでやってきて、都会で打ちのめされる話はたくさんありますが、江戸時代からそういう話の類型があったんですね。「木綿のハンカチーフ」的な。

児玉 まさに上京してきて、都会の絵の具に染まってしまうか、挫折してしまうか……。都に来ると、何かを強いられるんです。おしゃれであれ、粋であれと。

三宅 都会文学というジャンルは今もありますが、やっぱり自分がかっこよく見えるかどうか、キラキラして見えるかどうかが重要なのかと思いました。昨年話題になった麻布競馬場さんの『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』なんて、永遠に「自分はキラキラしているかどうか」の話をしている印象がありました。都会文学の証だ。

児玉 私も『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』を読んで、「ツイッター文学は、新しいけど、めちゃくちゃ日本文学の王道だな」と感じました! ちょっと惨めな都会の男の子の自意識話は、近世文芸の都会的な感覚と、明治以降の文学のテーマ「立身出世」のハイブリッドともいえるのかな。でも近世文芸と違うのは、今の人は麻布競馬場さんの作品をゲラゲラ笑いながら読まないところですね。今は読みながらむかついている人もいそう(笑)。

三宅 むかついている人はわかってない、麻布競馬場さんは、あの都会の記号に溢れた固有名詞の使い方がいいんですよ! 田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』的な。

児玉 そういえば今気づいたのですが、近世文芸も、固有名詞や人の名前、あと近世以前の古典作品などもやたら多いです。逆に、一般名詞であんまり物語らない。

三宅 現代でも都会の女性を主人公にしているフィクションで、ブランド名が出てくる時は作者から試されているような感覚がありますね。「ディオールのバッグに、ヴァンクリのイヤリング」と書かれている時、「ああ、そういうキャラクターね」とにやりとできるかどうか。私は安野モヨコさんの漫画『後ハッピーマニア』が大好きなんですが、この作品も分かる人には分かる固有名詞の使い方が最高で。あと児玉さんの小説『##NAME##』で、BAO BAOのバッグを持ったオタクのお姉さんが出てくる場面も痺れましたよ!

児玉 そうなんです、おしゃれな女性とおしゃれなオタクはちゃんと幅を利かせられるんです! 固有名詞が伝わって嬉しい。

三宅 都会性は固有名詞の共通認識の中にある、というのが今日の発見です。そう考えるとやっぱり近世文芸は都会の文学なんですねえ。

児玉 貴族などの特権階級じゃない、町商人が文化の主役なのも大きいかもしれませんね。都会的な振る舞いができるかどうかが大切。実はそこも、私が近世文芸に興味を持った理由なんです。判断軸が善悪じゃないのが新鮮で。倫理ではなく、ただ洗練されているかどうかという軸がいいなと。

三宅 児玉さんのお話を伺っていると、都会と田舎の対立は、近代化以前から根深く存在していたんだなと感じます。

児玉雨子さん
児玉雨子さん

和歌も歌謡曲も恋愛しかしてない?

三宅 『万葉集』の時代は「風流」と書いて「みやび」と読ませていたんですが、「みやび」の意味するものが、当時においてもかなり移り変わっているんです。恋愛をどれくらい重視するか、時代によって変化している。たとえば『万葉集』以前~前期は、中国の古典『文選』で描かれているような「教養があり、女の人には手を出さない」男性こそが雅だった。でも『万葉集』中期~平安時代になると「和歌を詠めて、女の人にモテる」ことが雅になっていくんです。在原業平や光源氏的なキャラクターが雅な男の代表格になる。

児玉 どれくらい人々が恋愛やモテを重視するかは、時代によって変わりますよね。現代の歌謡曲も、九〇年代以前は、恋愛のことばっかり。引くほど恋愛のことしか考えてない。私はずっとそれが不思議だったんです。「なんでこんな色恋ばっかりなんだ?」と。でも三宅さんの『妄想とツッコミでよむ万葉集』を読んで、「歌で恋愛が題材になりやすい傾向が、こんな昔からあったんだ!」と驚きました。もうカラオケの宴会芸で恋の歌を使うみたいに、宴会の和歌で恋を詠んでいたことが分かって、すごく面白かったです。
 日本の歌詞の恋愛至上主義はいつからだろうと思っていたけれど、『万葉集』の最初の歌が、雄略天皇のナンパの歌だと知って、ずっとそうだったんかい、と笑ってしまいました。

三宅 ありがとうございます。でも『万葉集』で詠まれている恋愛は、合コンじゃないですけど、ちょっとゲームっぽいんですよね。だから、ガチの恋愛のラブレターもあるんですが、同性の友人同士が恋愛和歌っぽくやり取りしてみたり、宴会のカラオケで恋の歌をみんなで歌いあうみたいなノリがあったり、親愛の情を「あえて」恋愛のフォーマットに乗せることが多かったんです。恋のフォーマットを使うと、和歌をつくりやすかったのかな。

児玉 それすごく面白い。最近のJPOPとは逆ですね。今は、何かをメタファーとして恋愛を歌うことが多いから。たとえば阿久悠は『サウスポー』で恋愛を表現するために、野球というモチーフを使っていた。ただ、文字だけを目で追ってみると野球のことを書きたかっただけでは? という疑いも捨てきれないのですが(笑)。

三宅 現代のアイドルソングでも、単なるオタクとアイドルの話を歌えばいいのに、それを恋愛になぜか置き換えますよね。日本ではポエジーみたいなものを引き出すのに、恋愛を使っちゃう癖がありそう。一応、『古今和歌集』の時代まで下ると、和歌のフォーマットができてくるから、恋の歌が減るんです。「春の歌はこういうふうに詠む」というルールができて、季節の歌が増える。でも『万葉集』の段階では、ルールができてない時代の歌集だから余計に、一旦、恋愛っぽく歌ってみてしまうのかも。

児玉 でもその後の鎌倉時代には、また連歌で「ここでは恋愛の歌を詠みましょう」という恋の句が生まれてくるんですよね。

三宅 たしかに。恋愛の歌の時代に揺り戻しが。

児玉 恋愛の磁場、強すぎる。

三宅 でも日本人、実生活ではそこまで恋愛が好きなイメージないですよね。

児玉 問題はそこなんですよ! 現実と歌世界の乖離について私も不思議に思っていました。欧米は日常ですごくカップル文化、恋愛至上主義なのに、詩や歌詞では恋愛以外の日常や政治的なメッセージを歌うことも少なくないです。ここ近年はガールクラッシュも増えましたが、日本は詩や歌詞では恋愛ばかり歌うのに、日常ではあまり恋愛しない。なぜなんだ。

三宅 今のお話を聞いて思い出したのが『更級日記』です。平安時代の『源氏物語』オタクの日記なのですが、「私も山奥に住んで、一年に一回ぐらい、光源氏みたいなイケメンに通ってもらいたい」と書かれているんです。私はこれを読んだとき、あんなに元祖恋愛小説みたいなフィクションが好きな女の子ですら、実生活は一年に一回イケメンに会うだけでいいんだ……と笑ってしまって。恋愛のフィクションは好きだけど、リアルで恋愛はしたくないというねじれが面白い。でも児玉さんとお話ししてると、今も『更級日記』の時代からあんまり変わってない気がしてきました。漫画や映画だと恋愛が重視されてみんなロマンチストなのに、日常では全然恋愛しない。

児玉 ねじれてますよね。こんなに恋愛が歌われているのに恋愛しない文化ないですよ!

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新刊紹介

三宅香帆

みやけ・かほ●文筆家・批評家
作家・書評家。1994年高知県生れ。大学院時代の専門は万葉集。著書に『妄想とツッコミでよむ万葉集』『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文』『女の子の謎を解く』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』など。

児玉雨子

こだま・あめこ
作詞家、小説家。1993年生まれ。神奈川県出身。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。2021年『誰にも奪われたくない/凸撃』で小説家デビュー。2023年『##NAME##』が第169回芥川賞候補作となる。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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