2025.11.30
妹、親友、行きつけの店主と女将が語る、素顔の北の富士さんの「粋」な男っぷり【藤井康生『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』試し読み】
書籍の中では、北の富士さんの妹さんや50年来の親友の方など素顔の北の富士さんを知る関係者にも取材。たくさんの証言をいただきました。今回はそんな中から本書の「第8章 語りの天才」の一部を修正してお届けします。
(構成/「よみタイ」編集部)
夜も「粋」に
親友の田中さん(仮名)から、夜の北の富士さんの一面を聞きました。
「付き合いは56年。途切れることがなかったですね。毎日のように連絡を取り合って。親よりも誰よりも長いですよね。年に1回会って50年というんじゃないですから。毎日ですよ。よく飽きないでねえ。
親方が呼ばれる堅苦しいお座敷に付き合ったことも何度かありますけど、僕だったら1時間もいられない。それも自分の仕事と思っていたんでしょうね。そういうお座敷は9時ぐらいには終わるから、そこから銀座で自由に飲むわけですよ。お酒を飲んで、あんなに朗らかになる人はいないんじゃないですか。僕は、親方にお酌をしたこともないですよ。水割りをつくったりもしない。
何よりも、(親方は)絶対に自慢話はしない。なんか照れながら『いや、それは俺だってそうだったよ』って言うぐらいの時はあってもね。だから、50何年うまくいったんじゃないですかね。
それから、会話をしていて、人と話がかぶるなんてこと、親方は絶対にない。あの人は人がしゃべるとすっと引くんですよね。粋、そのままの人でしたよ」
北の富士さんと食事に行くと、その粋な振る舞いに、「いつになってもこの人がモテるのは当然だ」と痛感させられる出来事に遭遇します。
今から、もう20年近く前の11月、九州場所でのことでした。この時ばかりは、北の富士さんから早めの誘いがありました。中日、8日目に食事会を開こうというのです。その打診があったのが、初日だったと思います。
「藤井さん、アナウンサーのみなさんを10人ぐらい集めてよ。人数が確定したら連絡して」
会場は「ちゃんこ千代の海」です。福岡の西中洲に平成29(2017)年まであった料理店で、店主は北の富士さんの弟弟子でした。師匠の千代の山と同じ北海道松前郡福島町の出身で、17歳の時に出羽海部屋に入門。千代の海という四股名をもらい、その後、九重部屋へと北の富士さんと同じ道をたどりました。そんなつながりから、北の富士さんは九州場所のたびに、何度か店に顔を出していました。
さて、中日の夜、アナウンサー10人が店に到着します。店の中で最も広い座敷の個室に通されます。30畳ぐらいはあるでしょうか。北の富士さんは、すでに待っていました。そして、部屋の入口に近いひとつのテーブルに、4人の女性が座っていました。
それにしても、もったいないぐらいに広すぎる部屋です。
「男ばかり、10人も集まって、狭いところじゃ息苦しいでしょ。1メートルずつ間を開けて、ゆったり座ろうよ。ああ、こちらの女性陣は、泊まっているホテルで俺の係をしてくれているみなさん。席を離しているから、そっちはそっちで楽しくやってくれればいいよ」
ホテルの従業員を招待するという、北の富士さんの気遣いに感服します。
全員で乾杯すると、肉から魚からサラダから、大皿で次々に運ばれてきます。食べ切れるはずのない品数と量です。4つの鍋に火がついて、宴会が始まりました。そして、あっという間に賑やかになり、20分ほど経過した頃です。部屋の障子を叩く音がします。「遅くなりました」と言いながら、女性がひざまずいて部屋に入ってきました。それも、ひとりではありません。次々に11人です。
「ああ、みなさん、忙しいのに、こんな席に申し訳ないねえ。入って、入って……。男ばかり並んでるけど、その間に座って……」
どうやら、コンパニオンのみなさんです。北の富士さんとアナウンサー10人の計11人。その人数に合わせて、北の富士さんが事前に派遣会社に予約をしていたようです。30畳の広い部屋、1メートルずつの間隔、その謎が解けました。
3時間ほど、盛り上がりました。お開きが近くなった頃、おもむろに北の富士さんが立ち上がり、バッグから取り出した小さな袋を、コンパニオンのみなさんに手渡しします。ご祝儀です。
人数分のお礼を、あらかじめポチ袋に準備しているのです。もちろん、派遣会社への支払いとは別です。このようなさりげない心遣いが、人生経験を積んだ粋さを漂わせます。コンパニオンのみなさんも、予想外の祝儀に相好を崩しました。
「よし、では解散しましょう。2軒目、行ける人は行こうかね」
アナウンサーを誘ってくれます。この言葉に、コンパニオンのみなさんが「私たちもお供していいでしょうか」と訊いてきました。もう1軒ついていけば、また帰りにご祝儀を……と計算したのかどうかはわかりません。すかさず、北の富士さんが、
「ああ、君たちとは、ここでお別れしましょう。どうもありがとう。ここからは、男たちだけの世界だから。また次回、お願いしますよ」
さらりと区切りをつけ、舞台転換を図りました。
2軒目。ほとんどのアナウンサーが厚かましくも同行します。福岡中洲の高級店です。
北の富士さんが店の扉を開けた瞬間に、黒服の従業員がママを呼びました。すると、和服姿のママが飛び出して来て「ああら、親方、いらっしゃい」と言いながら席に案内してくれます。同時に、店の女の子を、次々に私たちの席につかせようとします。
「ママ、ダメだよ。そんなに集めたら。他のお客さん、怒っちゃうよ。今日はね、NHKのアナウンサーのみなさんとだから、女の子はいらないよ。みんな、女性に慣れていないから……」
ここでも、嫌みなく、さりげない気配りを見せます。
そのうち、北の富士さんに気付いたお客さんが、サインや記念撮影を求めてきます。これにも、気さくに応じながら、初対面の人たちも笑いで和ませます。国技館をはじめ、地方場所の会場などでも、北の富士さんを見つけてサインや写真を求める観客が大勢います。北の富士さんは目立ちますから人が集まるのも当然です。そんな時でも面倒な顔ひとつ見せず、足を止めてにこやかに対応します。
ところが、北の富士さん御用達の両国の居酒屋「梁山泊」の小川裕之さん、けいこさん夫妻がこんな話をしてくれました。
「実は、北の富士さんは子どもの頃から写真嫌いだったそうですよ。卒業アルバムの写真も嫌で、撮影の日は休んじゃったって言ってました。『(休むと枠に入るから)大勢で写るよりも目立つじゃないですか』って言って笑ったんですけどね。うちの店に来るようになってしばらく経ってから、『親方、僕、親方と写真を撮ったことないですよ』って言ったら、『えっ、そうか。じゃあ撮るか』って……」
飲食店などで、他のお客さんからの写真の依頼には、気さくに応じる北の富士さんの姿を何度も見ました。どんな状況でも横柄な態度は微塵も見せない、これも北の富士さん自身は意識をしない中での美しさです。
幕内の土俵入りが始まっても、北の富士さんが放送席に現れないことが何度もありました。ファンの方々に呼び止められ、サインや写真撮影を頼まれていたためです。
サインといえば、こんなエピソードもあります。北の富士さん本人から聞いた話です。
「この前ね、新幹線に乗っていたんだよね。京都に行く途中だった。するとね、通路をふたりのご婦人が歩いていくんだよ。俺の脇を通る時に、少し目が合った。で、通り過ぎてから数分経ったかな。そのふたりが戻って来たんだよ。何て言ったと思う? 弁当の包装紙ってのかな、あの裏側、白いほうを差し出しながら『吉さん、大ファンなんです。サインをいただけませんか』ってね。ボールペンも渡された」
「吉さん」というのは、歌手の吉幾三さんのことです。
「俺ねえ、吉さんとよく間違えられるんだよ。雰囲気が似ているんじゃないの?」
北の富士さんは、いつも通りサインに応じたそうです。
「間違えられているとわかっても、断るわけにはいかないでしょう。『ああ、いいですよ』ってね、大きな包装紙の裏にサインしましたよ。丁寧にね」
ふたりのご婦人も「北の富士」と書かれたサインを目にして、恥ずかしく思うとともに驚いたことと思います。しかし、そこからが、これぞ北の富士さんです。
「いやいや、『北の富士』じゃないよ。当然、『吉幾三』って書きましたよ。だって、ご婦人方は吉さんだと思い込んでるんだから、失望させるわけにはいかないでしょう。それに、『北の富士ですよ』と言っても、『誰、それ?』ってね。知られていなかったら、俺ががっくりですよ」
ふたりのご婦人が、その後、サインを額に入れて飾っているのかどうかはわかりません。
写真は求められなかったそうですから、「偽物」だったことには、未だ気がついていない可能性も十分あります。誰も傷つけず、その場を円く収める……。ここにも、ユーモアの中に即興の粋な振る舞いを感じます。
行きつけの居酒屋で
吉幾三さんといえば、「梁山泊」の主人、小川裕之さんもこんな話をしています。
「吉さんとよく間違えられたと言っていました。でも親方が吉さんに会ったのは、1回きりなんだそうです。実はね、吉さんもこの近くに住んでいたんですよ。本所警察署の裏に……。 もうちょっと早い時期におふたりが会っていれば、ここで飲んでくれたかもしれないですね」
北の富士さんは、解説者となってからしばらくして、住まいを両国に変えました。居酒屋「梁山泊」は目と鼻の先です。その主人、小川さんの父は元小結の清水川です。
清水川は、昭和15(1940)年五月場所で初土俵を踏み、戦後の昭和20年代から30年代にかけて活躍しました。殊勲賞1回、敢闘賞2回、金星5つの記録が残っています。左四つからの上手投げを得意とし、四股の美しさでも脚光を浴びました。また、引退後は間垣親方として後進を育成し、聡明な解説者としても好評を得ました。
小川さんは、北の富士さんと初めて会った時のことを、このように記憶しています。
「親方がお見えになるようになったのは偶然でしたねえ。夕方、開店の直前に、入口の外に提灯をつるしていたんですよ。そこに、偶然、親方が前を通って、お互いに会釈をしたんです。なんか大きな人が来るなと思ったら親方だった。もちろん、北の富士さんのことは十分知っていましたよ。それから、何日も経たずにひとりでいらしてくれました。昼も何度か見えて……。席も決まっていましたね。
よくこの店の前を歩いて、錦糸町まで映画を観に行っていたんですよ、パーカーみたいなラフな恰好で。でも、いつもすごくおしゃれでしたね」
女将のけいこさんも、北の富士さんと出会った頃のことを、懐かしそうに思い起こしてくれました。
「親方が初めていらっしゃったのは、東日本大震災の前だったと思います。しばらく、主人の父親が小結の清水川だったことも黙っていたんですよ。そのうち、主人が『実は父親が力士だったんです』と言ったら、『え? どこのちゃんこ番だったんだ?』って。ご存じの力士とは思わなかったんでしょうね。清水川と言ったら、途端に親方が大喜びで、頭の上で手を叩いて、バーッと立ち上がって。『俺、よく知ってるぞ。話をしたこともあるよ』って」
小川さんは、昭和30(1955)年生まれです。父が力士だったこともあり、子供の頃から大相撲は身近にありました。
「僕らは、親方を現役時代からずっとテレビで見ている世代ですから……。親方は遊びにも一生懸命というか、いろんなことを勉強されているなあと感じました。ざっくばらんなんだけど、どんな話をされても面白いんですよ」
女将さんも声を揃えます。
「つい引き込まれちゃうんですよね。テレビでは明るくても、プライベートではあまり話をしない方も多いと思うんですけど。親方はあのまんま、もうとにかく話が面白い。私たちの知らない、いろんなことを話してくれる。いろんな言葉を知っていて、勉強されているんだなあと思っていました。楽しすぎるんですよ。だから、普段は失礼なことを絶対言わない常連さんも嬉しくなっちゃって、親方に絡んだりしたこともありました」
気さくな北の富士さんだからこそ、まわりのお客さんまで引き込みます。主人は、その対応に感心するばかりでした。
「そういう時も、全く嫌な顔をしないんですよね。後で文句を言ったりもしない。『すげえな、あのお客さん、絡んでくるねえ。よく来るのか?』って笑いながら言われたことはありますけどね。とにかく、僕の想像というか、こういう人だろうなと思ってたのが全部、覆されました。他人に気を遣う人だと……。豪快そうに見えて、すごく繊細。 乱暴な言葉を聞いたことがない。かといって、大ファンだって一緒に来た女性が『ざあます言葉』みたいなのを使っていたら、『あんた、そんな言葉を使って……』なんて、からかったりね。茶目っ気みたいなのがありました。 嫌味にならないんですよね。
親方に怒られたことが一度だけあるんですけど……。親方が来ると他のお客さんを断っていたことがあって。『なんで入れないんだ』って。『俺は貸し切りにしろなんて言ってないぞ』ってね。でも親方はたくさん召し上がるし、たくさん飲むし。ビールから焼酎から日本酒からワインから飲んで、いろんなものを召し上がるんですよ。こっちも、やっぱりそれなりにちゃんとして出さなきゃいけない。それで他のお客さんを断ったら怒られちゃった」
北の富士さんが、ふたりの関取を「梁山泊」に連れてきたことがあるそうです。
「稀勢の里関(72代横綱)が、まだ大関の時です。よく親方と『なんで横綱になれないか』っていう話をしていたんですよ。すると、ある日、『今から座れるか?』って親方が電話してきて……。『今日は暇なんですよ』って言ったら『俺は暇な店、行かねえぞ』ってパッと(電話を)切るんですね。そうしたら、突然でっかいのがふたり、店に入ってきた。わざとふたりを先に入らせて、壁みたいになっているから、親方が見えないんですよ。稀勢の里関と髙安関ですよ。稀勢の里関が『どうして横綱になれないか親方に相談したら、早く結婚しろって言われた』って言ってましたね」
北の富士さんは、まわりの人に対する気遣いも一流です。その一端を女将さんはこう話します。
「サインを頼まれてもここで書かないんですよ。色紙を持って帰って、丁寧に落款まで押して持ってきてくれる。『この前のお客さんに渡してくれ』って。親方は当時、すごく飲んでいましたけど、酔っぱらって乱れるのは見たことがないです。お支払いも一緒に来た人に気を遣わせまいということなのか、その場ではしませんでしたね。八角部屋に新弟子が入ると、よくうちでご馳走してました。たくさん食べさせて、支払いは後日、若衆に持ってこさせるんです。いつも代金よりも大分多めに持ってきてくださって、次に来た時に『あんな金額で大丈夫か? ちゃんと取れよ』って。
それから、好奇心も旺盛なんですよね。うちの前で、自転車に乗る練習をしていたことがありましたよ。大関昇進後は運転手がついていたから、自転車もしばらく乗ったことがなかった。八角部屋の若衆が乗ってきたのを『貸せよ』って言って」
ご主人もこれを見ていました。
「着物に草履だから、ヨロヨロ危なっかしくてね。若衆が後ろから走ってついていって。見ている私たちも大笑い。ゴルフに行くと、カートを運転するのも好きだったみたいですよ」
女将さんは、北の富士さんの粋な佇まいにもいつも見惚れていたそうです。
「親方はかっこいいし、面白いし、頭はいいし、気遣いができるし。それから、いつもおしゃれでしたね。黄色いジャケットに真っ白なシャツとか。パーカーにオレンジ色のスラックスとか。近所だからってだらしない恰好では来ない。着物で来られるのも素敵でした。雨の日は着物に高下駄、蛇の目の傘。バッグじゃなくて、巾着を肩に引っかけてね。お帰りになる時は、酔っているからか、そろりそろりと鼻歌交じりで歩いて行かれる。そんな後ろ姿をマンションに入るまでよくお見送りしました」

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