2021.11.19
逢坂剛×酒井順子“博報堂出身作家”対談 「自分をかわいがると、どんな仕事でも楽しみが見つかる」
社会的ルールを学んだ会社員時代
――博報堂での仕事がもたらしたものや、会社員生活が、活きているのはどんなことでしょうか。
酒井 私は三年しかいなかったので……。辞めるときも全く惜しまれなかったですし。上司もにこにこして退職届を受け取ってくださいました。辞めると思ったよ、みたいな。
逢坂 だからといって、あなたに期待していなかったわけじゃなくて、そういうことに本当に恬淡とした会社だったよね。
酒井 社内の有名人だった逢坂さんは、相当惜しまれたんじゃないですか。
逢坂 いやいや、惜しまれた覚えはないね。五十三歳で早期退職したので、自分としてはもう十分だったし。仮にどれだけ働いている人だって、辞めるのを惜しまれるということは、めったにないと思うな、博報堂は。
酒井 PR局だと、メーカーから官公庁まで、割とたくさん得意先を持つじゃないですか。だから、世の中にはとても色々な会社があって、色々な人がいるんだというのは学ぶことができましたね。
逢坂 お嬢ちゃまだったね、やっぱり(笑)
――それらの経験が、書かれるものに直接影響するということはありますか。
酒井 会社のことを直接書くみたいなことはないにせよ、もし大学を卒業してそのまま物書きになっていたら、雇用されるという経験を持たずに生きていくことになったわけで。会社という団体に身を置くことができたのは、自分にとって大きな経験です。
逢坂 そうね。特に広告会社というのは、そういう対人関係で仕事をするようなところだからね。
酒井 そうですね。だから、書くものの内容に影響するというよりは、五分前集合とか、納期は外しちゃいけないとか……。
逢坂 社会的ルール、というかね。広告会社で納期なんか外したら、得意先から一銭ももらえない。取引停止になっちゃう。だから、作家になったあとも、締め切りを守れなかったことは、一度もないね。間に合いそうもないときは、早めに先延ばしをお願いします。
酒井 間に合いそうにないなというのを、ずっと前から読めるのがすごいなと思います。
逢坂 それは、博報堂のおかげかどうか、分からないけど(笑)。でも、締切りだけじゃなくて、やっぱり約束を守るというのは、大事だね。人間、約束は守らなくちゃいけない。もっと大切なのは、できない約束はしないことなんだ。つい安請け合いしたくなっちゃうけどね(笑)
酒井 逢坂さんは、仕事を受けるか、受けないかの判断点というのはどういうところで決められるんですか。
逢坂 エッセイでもそうだけど、例えば「アフリカ企画なのでよろしく」などと、自分のテリトリーではないものを書いてくださいと言われたって、知らないから書けませんよと断るしかない。そういう程度のことですね。
それから、自分の興味のない、例えばハチャトリアンについて書いてくれといわれても、バッハとかベートーヴェンだったら多少書けるかもしれないけど、ハチャトリアンについては名前ぐらいしか知らないからかけません、と言って断る。それだけのことですよ。
酒井 そうですよね。私もやっぱり知らないこととか興味のないことは書けないですし。
逢坂 エッセイの依頼というのは、どういうふうにして来るのかな? 小説なら、時代ものとかミステリーとか、いろいろあるけどね。
酒井 「内容は何でもいいですから、自由に書いてください」というのが、実は一番困ります。あまりに茫洋としていて、お引き受けしなかったりしますね。
逢坂 いろいろな考えがあるだろうけど、こういうテーマでと言われたほうが楽だよね。私だって、何でもいいから書いてくれと言われたら、断ることはしないかもしれないけど、自分の好きな映画や小説や野球とか、そんなことしか書けない。
酒井 テーマは狭ければ狭いほど書きやすいですね。
逢坂 そうだよね。