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逢坂剛×酒井順子“博報堂出身作家”対談 「自分をかわいがると、どんな仕事でも楽しみが見つかる」

作家の副業にも寛容だったリベラルな社風

酒井 逢坂さんは博報堂の仕事もとても楽しそうにされている印象がありましたが……。

逢坂 いや、そのとおり。楽しかったですよ。

酒井 そうでもないときもあったんですか?

逢坂 いやあ、記憶にないね。私だけが楽しかったんじゃなくて、みんな楽しく仕事してたように思いますね、私は。
私の作家業についても、知っている人はもちろん知ってるけど、ちやほやされることはなかったし、嫌みなことを言われた記憶もないんだよね。多分あなたもそうでしょう?

酒井 そうですね。上司が「この雑誌に書いてみたら?」みたいに、仕事を紹介してくれたりとか。海外へのプレスツアーに、広告会社のスタッフ兼書き手として参加させてもらったりとか。

逢坂 そう。その辺は非常にリベラルな会社だった。
作家になってからのプロフィールでは、必ず中央大学を卒業して博報堂入社って書いていたからね。少しでも社名を出そうと思って、広告会社入社と書いてあると、わざわざそれを消して博報堂と書き直した覚えがある。あと、広告代理店と書くところが多かったから、私は必ず広告会社という表記に直した。

酒井 私もそれは、しみ込んでいます。多分、新入社員研修で習ったんです、「代理店ではありません」みたいな感じで。そこだけは義理を通している感じがします。

逢坂 でも、今は広告会社と言うところ多いよね、さすがにね。

酒井 そうですね。博報堂の温かい雰囲気は好きだったんですけど、私、本当に会社員が向いてなくて。

逢坂 どういうところが向いてないと思ったの?

酒井 得意先の身になって物事を考えられなかったんですよ。例えばミツカンという企業の仕事だったら、お酢とかポン酢が売れるためにどうしたらいいか考えなくてはならないわけですが、どうもそれができない……。ミツカンってすごくいい会社で大好きだったんですけど。

逢坂 それは、ミツカンの社員じゃないんだから、しょうがないんじゃないの。

酒井 でも、広告会社ってそれをしなくちゃいけないじゃないですか。先輩から仕事を教わることもなくて、自分で好きにやればというのが多かったですし。
 
逢坂 見よう見まねで、先輩のやっていることを見て、後からついていくうちに何となく分かるしね。大体ニュースリリースなんて、入って一年もしないうちに、先輩よりうまくなっていたかも。だから企画書も、ごく早くから書かされた覚えがある。

酒井 私も唯一得意だったのが、イベントのプログラムなどに載せる社長挨拶を書くこと。

逢坂 それは得意先の?

酒井 そうです。
 
逢坂 それはすごいな。

酒井 でも、イベントの企画部分をどうするみたいなところは、全く頭が働かなかったんです。

逢坂 それはやっぱり別の才能なのかな。

酒井 そんなこんなで、自分は自分のことしか考えられないんだということが身に沁みまして。

逢坂 多くはそうですけどね、人間は。

酒井 でも、逢坂さんは仕事はどんな仕事でも楽しんでできたっておっしゃっていましたよね。

逢坂 そうね。それは自分のためなんですよ、結局は。自分が楽しくやらないと、仕事がつまらなくなっちゃうから。自分の好きな仕事だけ、やっているわけにいかないでしょう、会社勤めはね。

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逢坂剛

おうさか・ごう
1943年東京生まれ。80年「暗殺者グラナダに死す」で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞。86年に刊行した『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞、第5回日本冒険小説協会大賞をトリプル受賞。2014年、第17回日本ミステリー文学大賞、15年『平蔵狩り』で第49回吉川英治文学賞を受賞。20年、「百舌」シリーズ完結時に第61回毎日芸術賞を受賞。

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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