2022.9.21
大人気カルト作家・佐川恭一が「え、こういうの集英社から出版していいん!?」と驚愕した麻布競馬場Twitter文学の本質
今回、大学入試や学歴への執着などの共通点がある麻布競馬場『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』の書評を、佐川さんにご寄稿いただきました。
この本には二十の悲劇が詰まっている
人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。
これはショーペンハウアーの言葉だが、人生を悲劇として見ようとしたときに、そうできない人生は存在しない。
麻布競馬場、という名前を知ったのはいつだったか忘れたが、彼の書く「ツイッター文学」は以前から気になっていた。そこにはあらゆる記号と偏見が乱舞しており、私はそれをすばらしい悪ふざけだと思っていたが、偏見を懸命に隠してものを書いている人が多い時代には逆行しているとも感じていた。そんなわけで、今回彼の作品が本になると聞いたとき、「え、こういうの出版していいん!? しかも集英社から!?」と興奮したのである。
さて、この本には二十の悲劇が詰まっている。かすかな希望を感じさせるものもあるが、概ねそう言い切っていいだろう。私は歩んできた人生の都合により受験と就活の世界にはある程度詳しいので、ここで使われる学歴や就職偏差値の記号は私に明快なイメージを喚起する。たとえば「東大に四点差で落ちて慶應」とか「早慶からメガバンク」というのがどういう「感じ」なのか、はっきりと思い浮かべることができる。
一方で土地やファッションについて無頓着に生きてきた滋賀出身の私は、「芝浦」とか「三十過ぎてジェラピケ」がどの程度ダサいものなのかよく摑めない。摑めないが、彼の記号使用の異常なまでの徹底ぶりが読者の知識や感覚の不在を突き破り、強烈なイメージを打ち立てる。その力の過剰さが、私たちに普遍的かつ爆発的な笑いと哀愁をもたらす。
麻布競馬場は自由に筆を踊らせながら、記号の虚無性を改めて私たちに知らせる。「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」。「東京タワー」とはつねに追い続けられる何らかの夢であり、「この部屋」とは私たちの立つあらゆる場所のことである。この項は無限に交換可能であり、私たちは出口のないレースコースに放り込まれる。皆がそこからの「脱獄」を試みるが、麻布競馬場は規模を拡大しながら視野に入るすべてを同化し、外部を破壊し続けるだろう。そうした徹底の結果はじめて、彼の描く記号的悲劇は反転して意味を持ち、喜劇となる。ここまで捻くれた仕方でしか表すことのできない人生の愉楽──とあえて言わせてほしい──を、麻布競馬場は私たちに教えてくれるのである。
なあんて、年甲斐もなく長々と語ってしまいました。ほんとはこんなこと考えながら読んだんじゃないんです。下品に笑いながら膝を叩いて読んだんです。とにかく面白いので読んでほしい、ということを言いたいだけなんです。もしかすると、「その話はやめてくれ」と叫びたくなる話もあるかもしれません。でも、そういう痛みを感じる話こそ、人生の道標になったりするものではないでしょうか。
私が二十一歳でものを書き始めたころ、少なくとも五年以内には芥川賞を獲るつもりでした。それが自分には十分可能だと思っていましたし、そのぐらい圧倒的な才能がなければ作家をやる意味がないと思っていました。今年で三十七歳になります。
(※本書評は、小説すばる2022年9月号から転載したものです)
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