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早稲田卒の教師が卒業式の日に語った自分自身の「あまりに惨めな人生の話」とは?【麻布競馬場 新刊試し読み】

「先生は、自分が特別な人間だと思っていたのです」

 本社でみな先生のことを腫れ物に触れるように扱いました。缶コーヒーを拒否してキツネカフェを飲んでいたとか、事務所でNujabesを流していたとか、そんな話まで本社に伝わっていたらしいのです。先生が嫌いな同期は、グローバルマーケティング部門で活躍して新卒採用のパンフレットに載っていました。

 結局、数ヶ月後に先生は会社を辞めました。先生が陰で何と呼ばれていたか教えてあげましょうか? 「オシャレ」です。僻地で鬱になり本社に戻されて、派遣のオバサンたちに「いつまで経っても勘定科目マスタの設定すらできない」と馬鹿にされながら、オシャレなカーディガンを着てオシャレなマグカップでコーヒーを飲んでいる、怠惰で無能な人。

 唯一中途採用で受かったベンチャーで経理事務をやってみましたが、そこでも「残念ながら求められるバリューを出せていない」と試用期間で切られました。問題はバリューだけではありませんでした。他のメンバーから嫌われ、私以外全員が入ったLINEグループができるほどに、私は人間関係に難がありました。

 たぶん先生は、自分が特別な人間だと思っていたのです。東京で生まれた人が東京でなんとなく生きるのとは難易度の違う人生を、先生は自分の努力と能力で生き抜いたのだと、自分の力で東京に辿り着いたのだと思っていたのです。先生にとって東京は特別な場所でした。自分の特別な価値を証明してくれる、特別な場所。

 そして先生は東京から転落しました。先生には特別な価値なんてものはなくて、ただ人を見下し、それでいて見下し続けるための努力もせず、すぐにその薄っぺらい自信をひっくり返されて、今度は地面に這いつくばった自分が見下され笑われることの繰り返しで構成される惨めな人生だけが残りました。

 先生はこの街に戻ってきました。両親の暮らすマンションの近くに小さなアパートを借りて、青いアクアを買って、ユニクロを着て、そして缶コーヒーを飲んで暮らしています。採用試験を受けて、3年前からこの高校で先生をやっています。

 今年で30歳になります。何もない人生です。いや、訂正します。先生の性格の悪さ、頭の悪さ、そんないろんな、先生のダメなところのせいで、自分自身のせいで、人生という車のトランクに、先生は何かを残すことができませんでした。必死で走るそばから先生の荷物は次々と落ち、何も残りませんでした。

 最初に質量保存の法則の話をしました。先生は、これまでの空虚な人生で、いったい何を与えられてきたでしょう? 何かを与えられたとして、それをまだ持っているでしょうか? そんな私に、みんなに偉そうに何かを教え、与える権利があるでしょうか? 先生はいつも悩んで、また車の中で叫んでいました。

 でも、それでも先生も、みんなも、必死で生きてゆくしかないのです。誰にだって悪いところはあります。そのせいで人を傷つけ、また傷つけられることもあるでしょう。先生がそうでした。おれは早稲田卒だ、東京から来たんだ、といつも人を見下し、嫌われてきました。それでも生きてゆくしかないのです。

 人生のあらゆるところに、あらゆる街に、不幸はみんなを殴るための棒を持って潜んでいますし、不幸に殴られたとき、だいたいの場合それは自分のせいだったりします。自分で招いた不幸に殴られ傷つくなんて! その事実に耐えられなくなって、死にたくなることもあると思います。それでも生きてゆくしかないのです。

 東京に出た先生に不幸があったように、地元に残り、駅前のマックで怪盗ロワイヤルの話をしながらジュースの氷を噛んでいた同級生たちにも不幸があったかもしれません。もしかすると袴をはいたヤンキーたちにも。もしかすると君たち自身にも。すべての人には、その人だけの見えない地獄があるものです。

 人の不幸を想像できる人になってください。先生はこんなこと言える立場にありません。先生はそれができなくて、自分だけが苦しい人生を歩んでいて、人を見下す権利があると思っていたクソ野郎だからです。でも、それでも言いたいのです。母が母なりに私の未来を思い、ビートルズを聴かせたように。

 誰もが苦しみながら生きています。死なないでください。そして同じように苦しむ人たちを思い、ビートルズを聴かせてあげてください。私の母は父からモラハラを受けていました。高卒のお前が何を偉そうに子どもを教育しているのかと、よく馬鹿にされ、それでも彼女は、車でビートルズを流しました。

 人を思うことを恐れないでください。自分なんて、と思わないでください。年収何千万とか、フェラーリに乗っているとか、偉そうな人にも必ずその人だけの地獄の苦しみがあります。だからこそ強がっているのです。そんな人たちにも恐れず優しくしてあげてください。もちろん、明らかに弱っている人にも。

 みんなで生きましょう。死なず、死なせないようにしましょう。苦しみの中でこそ、他人の苦しみを思い、助け合いましょう。先生も、これから努力してゆきますから。お話は以上です。卒業おめでとう。

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新刊紹介

麻布競馬場

あざぶけいばじょう
1991年生まれ。慶応義塾大学卒業。
著書に『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)、『令和元年の人生ゲーム』(文藝春秋)。

Twitter@63cities


(イラスト:岡村優太)

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