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【決勝は明日29日】高校バスケ史に残る名指導者、故・佐藤久夫から福岡第一・井手口孝や畠山俊樹に引き継がれる名将の意志

福岡第一の名将・井手口孝の大きな目標こそ佐藤久夫

福岡第一を率いる井手口孝監督。(写真提供:日本バスケットボール協会)
福岡第一を率いる井手口孝監督。(写真提供:日本バスケットボール協会)

 佐藤が「打倒・能代工」に執念を燃やしたように、いつの時代にも絶対王者に挑み続け、覇権を継承する指導者は、必ず現れる。
 福岡第一高等学校の井手口孝もそのひとりだ。
 1994年にバスケットボール部を新設した同校の監督となり、2004年にインターハイ初優勝。佐藤が明成に移った翌05年には、初めてウインターカップで頂点に立った。

「久夫先生は大きな目標でしたから。プロ、大学、すべてを通して日本一の指導者だと思っています。『ああいう指導者になりたい』と追いかけて、ここまでこれましたので」

 井手口が佐藤に想いを馳せる。ともに日本体育大学の出身であることから親交を深め、コートでは全国の舞台で火花を散らしてきた。優勝はインターハイ4回、ウインターカップ5回、国体に代わるビッグタイトルとなったU18トップリーグも22年に制した。井手口は名を上げ、名将と呼ばれるようになった。

 今年6月。その恩人がこの世から旅立った。
 それはまるで、佐藤が導いてくれたかのような巡り合わせだったのかもしれないし、井手口にとっては弔いでもあったはずだ。
 福岡第一は今年、全国大会すべてで仙台大明成と対峙した。
 7月に開催された北海道インターハイ準決勝で90-63、9月のU18トップリーグでも100-87で勝利していた。そして、12月24日。ウインターカップ初戦で相対することとなった井手口は、縁を感じながらもあえて情を断ち切った。

「『静かに天国でゴルフでもしていてください』と。久夫先生はもういないんだと思うようにして試合に入りましたよ」

 それは、情熱を内に秘めた非情なまでの冷静なバスケットボールだった。
 試合のハイライトは、第1クォーターを14-15で迎えた第2クォーターだ。仙台大明成のアウトサイドからのシュートがリングに嫌われるや、福岡第一は身長2メートルのサー・シェッハの高さを生かしてリバウンドを制し、そこからの速攻で得点を重ねていく。25-1。衝撃的なスコアで逆転に成功すると、第3クォーターも17-15と差を広げた。
 落ち着いた指揮で優位に試合を運んでいた井手口だったが、最終の第4クォーターで背筋が凍りかけたのだという。

「最後は久夫先生が来たのかと思いましたよ」

 仙台大明成に6本のスリーポイントシュートを決められるなど34失点。第3クォーターまで25点差だったスコアが最終的に76-65にまで追い詰められた井手口は、試合後、自らに情を呼び戻し相手を称えた。

「明成さんがどれだけ厳しい練習をしてきたのかはわかっているつもりです。久夫先生が亡くなられた悲しみを乗り越えて、強い想いを持って大会に臨んできていたわけですから、我々としても最後まで諦めない気持ちを出していくだけでした」

 試合の終了を告げるブザーが鳴る。
 仙台大明成の選手たちが自分の元へ挨拶に来ると、顔を歪ませた。井手口は受け継がれる名将の意志を感じ取っていたのだ。

「畠山監督が高校時代のようなバスケットボールを、これから明成さんはたくさん見せてくれると思いました」

24日の仙台大明成戦を終えて、明成の選手たちを涙を流して讃える福岡第一の井手口監督。(写真提供:日本バスケットボール協会)
24日の仙台大明成戦を終えて、明成の選手たちを涙を流して讃える福岡第一の井手口監督。(写真提供:日本バスケットボール協会)
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新刊紹介

田口元義

たぐち・げんき●1977年、福島県生まれ。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て2003年からフリーライターとして活動する。
著書に「負けてみろ。聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム)などがある。

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