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なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説

なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説

俺たち人間、365日バグっているのがデフォ

 こうやって、煩悩について解説しているとき、どうしても感じるのは「視線」だ。ビンビンに伝わってくる。お前はどやねんと。お前が彼女ほしいがあまり、最近眉毛カットサロンに通い出したこと知ってんねんぞと。
 ここで、言い訳ではなく、僧侶から一つの回答を出させてほしい。もちろん、仏教では煩悩をなくして仏になることを目標にしているが、「煩悩具足」といって、誰もが初めから煩悩を持っていると説かれるのだ。チンアナゴのように煩悩は心の中を出たり入ったりを繰り返していて、どうしようもないくらいにとめどない。
 自分を擁護したいわけではないが、どれだけ修行しても煩悩はなかなか消えないものと 思ってもらっていい。たとえば、お経の中には「阿羅漢あらかん」という、ほぼ悟りに近い聖者が夢精したというエピソードもあるのだ。これにはマジで勇気が出る。僕も修行中に「俗世に戻ったらやりたいことリスト」を夜な夜なノートに書き溜めていた。1位は「街コンで出会った線香屋の娘のあの子に告白する」だった。煩悩まみれである。

 では、どうやってそんな煩悩と付き合っていったらいいのかというと、まず初めは自分の心に目を向けることだ。すなわち、欲・怒り・妄想が心の中に湧き出た瞬間に、「あ、今煩悩出てきた」と自分を観察するのである。
 僕らは想像以上に自分の煩悩に対して無自覚でいる。「あたしって煩悩まみれだな〜」なんて気づけているうちはかわいいもので、知らず知らずのうちに煩悩に取り込まれている。
 心がカラカラに渇いていたり、他人に無責任に怒ってしまっていたり、俺たち人間、365日バグっているのがデフォなのだ。
 だからこそ、少し心を落ち着けて自分を客観的に見つめる時間はとても貴重である。ただでさえ年末は忙しい。そんなときに、煩悩を打ち払ってくれるイベントが、除夜の鐘だ。

イラスト/竹内佐千子
イラスト/竹内佐千子
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稲田ズイキ

いなだ・ずいき●僧侶。1992年京都の月仲山称名寺生まれで現・副住職。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、寺に定住せず煩悩タップリな企画をやる「煩悩クリエイター」として活動中。コラム連載など、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画しています。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。Twitter @andymizuki
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