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なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説

なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説

心身の毒になる煩悩ビッグ3

  煩悩とは、心や体を乱して悩ませて、正しい判断を邪魔してくる心のはたらきのことを指す仏教の言葉だ。
 仏教では、この煩悩こそが苦しみの原因であり、煩悩とどのように付き合っていくかが、一番の課題として説かれている。この世界は諸行無常だから、自分の意思とは無関係に、どうしようもない現象に出くわすことがある。そんなときに、心にバグを生成し、苦しみをもたらしてしまうものが「煩悩」なのだ。
 じゃあ具体的になんなのかというと、代表的なものが、とんじんから構成される「三毒」と呼ばれるもの。いかにも健康に悪そうな名前をしているが、心に三毒を宿していない人はいないと言い切れるくらいには、人間にとって普遍的な要素だ。
 そんないわば煩悩ビッグ3の一つ、「貪」とは、貪欲とんよくのことで、要するに欲することだ。すなわち「もっと美味いもん食いてぇ!」「もっと美形になりてぇ!」という心の状態。何を隠そう、いつもの僕である。
 先ほどの年末に感じるソワソワ感は、まさにこの貪欲でカラカラに枯渇した心が原因だ。もっとやりたいことがあるのに、何も実現できていない。でももう1年が経ってしまった。恋人がほしい。小指だけでもいいから手をつなぎたい。
 悲しいことに、こうした欲望に現実は応えてくれない。どれだけ望んでも過去は戻らないし、もし一時的にその欲望を叶えたとしても、さらにもっと楽しいこと、さらにもっと別の刺激を、と求めてしまう。「欲望は無限ループだから、叶えたとしてもずっとしんどいよ」というのが、ブッダの導き出した一つの答えだ。欲から離れ、「足るを知る」を知らなければ、構造的にしんどさから逃れることはできない。

 第二に、「瞋」とは、瞋恚しんにともいわれ、気に入らないことに対して嫌だと思うことをいう。怒りや憎しみ、嫉妬、自分がないがしろにされたという感情なども含まれる。
 すなわち「ハァ? なんでこいつだけこんなにいいね!付いて俺のは付かんの?」という心の状態。なるほど、SNSを眺めているときの僕である。年末Facebookに投稿される「今年のまとめ」的な、いかにもキラキラした投稿を見て、キィィィと煮え繰り返るこのはらわたは、ちょっとした大田区くらいは破壊できそうである。まさしく瞋。瞋・ゴジラ。
 貪が自分が愛するものを取り込もうとする心の働きであるとするならば、瞋とは自分が気に入らないものを排斥しようとする心の働きと説明することができる。SNSで嫌われるクソリプは「かまってちゃん+気に入らねぇ」なので、貪と瞋の2連コンボというわけ。

 ビッグ3のラスト、煩悩界のビートたけしが、根本原因とも言われる「痴」である。別名、愚痴とも言われるが、「ちょー聞いてうちの犬がさぁ、マジでありえなくてぇ〜」という現代でいう愚痴の類ではなく、もっとシンプルに「愚か」であることを指す。すなわち、「俺には俺のやり方があるから!」と他人の意見を無視して自分に陶酔したり、夜中に「ねぇGoogle、幸せってなに?」とスマートスピーカーに話しかけることなどをいう。うん、これもいつかの僕だ。
 痴は、別名「無明むみょう」とも言われ、光がなく暗闇の状態だ。ものの道理がわかっていなかったり、勝手にわかった気になっていたり。そもそも、人生なんて1日1日はたまた1秒1秒の繰り返しであるのに、年末になってやっと時の流れを感知して、ギャーギャー騒ぐというのは、まさしくバカである。
 仏教では、この煩悩ビッグ3、貪・瞋・痴、つまり、欲・怒り・妄想の三つを三毒と呼び、僕らの心や体を乱して、正しい判断を邪魔してくるものと定義する。それがしんどさの原因なのだ。

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稲田ズイキ

いなだ・ずいき●僧侶。1992年京都の月仲山称名寺生まれで現・副住職。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、寺に定住せず煩悩タップリな企画をやる「煩悩クリエイター」として活動中。コラム連載など、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画しています。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。Twitter @andymizuki
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