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なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説
12月16日、稲田ズイキさんの『世界が仏教であふれだす』が発売されました!
「よみタイ」でも大好評だったコラム「罰当たりなほどにユルくてポップな仏教トーク」から選び抜いたエピソードを加筆編集して単行本化。
平成生まれの僧侶・稲田さんが、仏教のあれこれについて独自の視点で楽しくわかりやすく解説する新感覚の仏教本です。

その刊行を記念して、書籍の中から厳選した“(仏教なのに)神回”を掲載。
全3回の特別企画です。

2回目の今回は、大晦日に『紅白歌合戦』の後に鳴っているアレ、「除夜の鐘」の意味を解説します。
今年の除夜の鐘の音色は、ひと味違って聞こえる!かも。

※書籍の一部を抜粋・再編集しています。
(構成/よみタイ編集部)

なぜ108回叩くのか? 自称・煩悩まみれの僧侶が「除夜の鐘」の意味を解説

煩悩〜我がために除夜の鐘は鳴る〜

 年末、年の瀬に「良いお年を〜!」と言われると、なんだか胸がソワソワする。まるでオチのある話をしている最中に、「え〜そろそろ宴もたけなわですが……」と話の腰を折られる気がするのだ。
 まだ次の年を迎える準備なんてできていない。あれもしたい、これもしたい、もっとしたいことがある。まだ魂は5月半ばにいて、「あぁ、今年こそは彼女ほしいな〜」なんて願掛けしている上半期の夕暮れどきにいる。だというのに!

 え? 本当にもう1年終わり? こんな志半ばで年、締めちゃうわけ? どしたどした、自分、この1年、一体何して過ごしてたの?

 このとめどない胸のソワソワの正体。それは「まだ終わってほしくない」という願望だ。年末というわかりやすい時間の区切りが、365日前の自分と、現在の自分を浮き彫りにさせる。「あれ、俺全然、前に進んでないんじゃね? 前前前世どころか全然前進してないんじゃね?」と。
 似ているものでいうと、夏休みの最終日、もしくは日曜日の午後4時。ただ同じ1日が終わるだけなのに、まるで地球最後の日のようにノスタルジーに浸ってしまうあの感覚。
 時間よ、止まれ。誰もが乞い願い、赤子のようにジタバタする。あの日、もし彼女に気の利いたことを言えていたら……。「俺もその映画観たかったんだよね」と言えていたら……。勇気を出して、「今度映画観にジャスコ行かん?」と言えていたら……。
 でも、そんなこと叶わないのは知っているのだ。それなのに、あってほしいと願ってしまう。そして、そんな欲望と現実とのギャップが、だんだんと心の痛みへと変わっていき、とうとう言葉にしてはいけないあの言葉、言語界のヴォルデモートがこの世に君臨する。そう、「現実マジしんど」が
 現実はマジでしんどい。しかし、そんなしんどさを自分の中に見つけたときこそ、チャンスなのだと僕は思う。仏教は、すべての存在には原因があって(縁起)、その原因さえなくしてしまえば、その存在も消えると説く。つまり、しんどいときは「しんどい」を取り除けるチャンスなのだ。
 仏教が「しんどい」の原因としてあげるのは、「煩悩ぼんのう」。つまり、欲・怒り・妄想なのである。「あってほしい」と「ありはしない」の狭間で揺れるとき、人はすでに仏の先っちょを見ているのだ。

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稲田ズイキ

いなだ・ずいき●僧侶。1992年京都の月仲山称名寺生まれで現・副住職。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、寺に定住せず煩悩タップリな企画をやる「煩悩クリエイター」として活動中。コラム連載など、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画しています。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。Twitter @andymizuki
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