2021.10.17
紀州のアクリル王に直撃取材! コロナ対策で需要マシマシの「アクリル」、その意外な歴史と業界事情とは?
バスケットボードの8割が和歌山産
――金谷社長、「株式会社カナセ」さんはどのような会社なのでしょうか。
1919年(大正8年)に私の祖父・金谷清太郎が和歌山県上富田町で貝ボタンの製造をはじめたことが会社の始まりです。海が近く、貝がたくさん取れたので、当時は、貝殻をくりぬいてボタンを作る工場が周辺にたくさんあったようです。
現在は、ボタンとアクリル二つの軸で事業展開をしており、従業員は約200名。国内複数の拠点と中国にも工場があります。
かつては、スペインにも工場があり、私も一時期向こうに住んで、スペイン人の従業員達と明け方までワインを楽しんでいたこともあるのですが(笑)、もうスペイン工場は閉じてしまいました。
――100年以上の歴史がある、老舗企業なんですね! ボタン工場として始まった会社がなぜアクリルを?
ポリエステルやカゼインなどボタンの素材として樹脂を扱っていたこともあり、その技術を生かせる新たな分野として、祖父がアクリルに目をつけたようです。1959年(昭和34年)からのアクリル板の製造をはじめています。今は売上の大半がアクリル事業によるものです。
――カナセさんで作られたアクリルはどのようなところで使われているのでしょうか。
非常に多岐にわたるところでお使いいただいていますが、わかりやすいところだと、たとえば、池袋サンシャインや京都水族館の水槽にはうちのアクリルが使われています。あとは広島のマツダスタジアム(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)のファザード看板もそうです。
学校などの体育館にあるバスケットボードも、昔は木製だったのですが、今はアクリル製が主流で、国内需要の約8割は、うちのアクリルが使われています。
――日本の体育館にあるバスケットボードのほとんどが、和歌山県上富田町で作られているんですか!?
シュートゴールの四角いラインを引いたり、ネットをつけたりといった加工を行うのは別の会社ですが、その加工用アクリルはうちの工場から出荷されています。