2022.9.16
「矢沢あい展」でも大注目! 4刷決定『ストリート・トラッド〜メンズファッションは温故知新』より「パンク」カルチャーをひも解く
セックス・ピストルズ
ほどなくニューヨーク・ドールズは解散してしまうが、マルコムはパティ・スミスやテレヴィジョン、ラモーンズなど、ニューヨーク・ドールズ周辺のアンダーグラウンドで勃興していたパンクから強い影響を受け、そのコンセプトを母国に持ち帰り、一山当てようと画策する。
一九七五年、ニューヨーク・ドールズのフロントマンであるジョニー・サンダースが使い古したギターをお土産に抱えて帰英した彼は、自分の店とブランド名をセックスという名前に変更。
そして、パリで見たSMショップに影響を受け、ラバー製のボンデージ服をつくりはじめていたヴィヴィアンを啓蒙し、新しいパンクスタイルの考案をはじめる。
さらに、店にたむろしていた不良少年たちがつくったストランドというバンドをコントロールしはじめ、ボーカルにアイルランド系でアートスクールの学生だったジョン・ライドンという男を迎えさせる。そして、バンド名をセックス・ピストルズに変えさせた。ちなみにジョン・ライドンの芸名、ジョニー・ロットンの〝ROTTEN〞は〝腐った〞という意味で、初対面のジョンの汚い歯を見たギタリストのスティーブ・ジョーンズが、「お前の歯、腐ってやがる!」と叫んだ言葉をそのまま芸名にしたという有名な逸話がある。
ロンドン風パンクスタイルを定める必要があったマルコムは、とりあえずセックス・ピストルズのメンバーに、ニューヨークパンクスの一人であるリチャード・ヘルがやっていたファッションを真似させた。黒の革ジャン、安全ピンで留めたボロボロのTシャツ、逆立てたぼさぼさのショートヘアというスタイルである。そして、自分の経営するブティックの服をどんどん彼らにあてがっていく。
デビュー
一九七六年、マルコムの暗躍によりセックス・ピストルズはEMIと契約。「俺は反キリスト教。俺は無政府主義者」という衝撃的なフレーズではじまる『アナーキー・イン・ザ・UK』でデビューを果たす。「ヤツらはお前を低脳にする潜在的な水素爆弾。彼女は人間じゃない。未来なんてない」という歌詞でエリザベス女王を揶揄した二曲目『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』もデビュー曲同様、賛否込みで大反響となる。こうした楽曲のコンセプトを練ってピストルズに提供し、トータルプロデュースしたのは、もちろんマルコム・マクラーレンである。
アバのダンスナンバーがヒットチャートを席巻するような、安穏に肥大化したロック界を否定し、メディアでは反社会的な暴言を吐きまくる過激なピストルズの登場は、イギリス中の若者に大きな衝撃を与え、瞬く間にパンクが一大ムーブメントとなっていく。
ロンドンパンク
初期にマルコムがかかわり、レコードデビューはピストルズに先んじたザ・ダムド、ピストルズを見て衝撃を受けたメンバーによって結成されたザ・クラッシュ、キーボードをフィーチャーしたザ・ストラングラーズ、ネオモッズ系のザ・ジャムなどを加えたロンドンパンク。そのサウンドは、一九六〇年代のアメリカのガレージロックや、一九七〇年代前半、ロンドンを中心に小ブームを起こしていたパブロックのサウンドを踏襲し、大音響で歪みの強いギターと、激しいドラムリズム、がなり立てるような激情的なボーカル、そして単純で一直線の短い曲調が特徴だった。また、ロックの初期衝動への回帰願望からか、一九五〇年代のロックンロールからの影響も随所に見られた。
ニューヨークパンクは、既成のロックバンドが取り上げないようなテーマであるセックスや ゲイ、SM、その他の身近な問題や社会批判などを歌詞の中に織り込むことが多かったが、概して政治的ではなかったのに対し、ロンドンパンクはセックス・ピストルズを筆頭に、政治的・社会的イデオロギーを思い切り爆発させるような歌詞で、聴衆をあおるスタイルをとるバンドが多かった。
労働党政権下の当時のイギリスは、一九七三年から一九七四年のオイルショック以降、経済 が不振を極めていて、職にあぶれた若年層による政治不信の声が増大していた。そこに火をつければ簡単に燃え上がることを、仕掛け人マルコムは見抜いていたのである。