2022.3.15
【佐藤賢一緊急特別寄稿】世界史から見るウクライナ情勢「ウクライナは引かない ロシアが引くしかない」
ウクライナの誇りが、ロシアに負けることなど断じて許さない
やはり難しい問題である。
が、ロシアがつけこむことができるのは、クリミア半島と東部の二州だけなはずだ。ウクライナ全土に対して、侵攻作戦を実行するなど、いかなる論理をもってしても正当化できない。いや、力の論理で正当化すればよいというのが、ロシア大統領プーチンの考え方なのだろうが、まさしく正気の沙汰でない。さらにいえば、うまくいくはずもない。私が思うに、ウクライナはロシアの軍門には下らない。最後まで戦い続けて、絶対に譲らない。ウクライナの誇りが、ロシアに負けることなど断じて許さないからだ。
第一にウクライナには、ロシアの下風に立たされて、やむなしとする諦念はない。あるとすれば、むしろ我こそ本流、我こそ主筋なのだという自負のほうだ。プーチンは「ウクライナとロシアは兄弟国家」といったそうだが、その場合もウクライナが兄、ロシアが弟と考えるのだ。
それは歴史に培われた誇りである。
ウクライナが自らをもって、誰に付属するでも、誰に従属するでもない、オリジナルな国と任じているのは、かつてキエフ大公国があったからだ。成立は八八二年と、非常に古い。他方のロシアはモスクワ大公国から発展したものだが、九世紀にはまだモスクワの地名すらなかった。前身のモスクワ公家の成立が、ようやく十三世紀のことだが、それもキエフ大公家の分家の分家にすぎなかった。
さらにいえば、キエフ大公国は九八八年、ヴォロディーミル大公のときに、キリスト教を国教に定めている。それは広義のロシア、あるいはルーシのなかで初めてのキリスト教国であり、つまりは文化的にもモスクワ大公国とは比べられない先進性を誇っていた。
キエフとモスクワの立場が逆転したとすれば、その端緒は十三世紀に求められる。モスクワが強くなったわけではない。アジアからモンゴル帝国が攻めてきたのだ。南のキエフ大公国は当時から穀倉地帯だったが、その豊かさゆえに徹底的な破壊と収奪に曝されて、一挙に滅亡寸前にまで追いこまれた。モスクワ大公国のほうは北方の僻地、雪と氷ばかりの貧しい土地であり、モンゴル軍も攻めこみはしたものの、忠誠だけ誓わせると、さっさと引き上げてしまった。つまりは被害が少なくて済んだのだ。