2022.3.15
【佐藤賢一緊急特別寄稿】世界史から見るウクライナ情勢「ウクライナは引かない ロシアが引くしかない」
ロシアがつけいる隙があった
ヤヌコーヴィチはキエフから自らの地盤である東部に逃れた。これを議会は職務放棄とみなし、大統領の失職を宣言したことで、政権はあっけなく倒壊した。後を承けたポロシェンコ政権は、親欧米路線に舵を戻し、それがウクライナの今の流れにつながっている。
難しいどころか、何の問題もないようにみえる。
いや、隣国のロシアは、ゆめゆめ歓迎できない。ソ連時代と変わらず、ウクライナを自らの勢力圏に留めたい。少なくとも中立地帯にしておきたい。それなのにウクライナがEUとNATOに加盟すれば、眼前に「敵国」が出現する形になるのだ。確かに喜べないだろうが、どうしようもない。ウクライナは独自の主権を有する独立国だからだ。そうであるかぎり、内政干渉は許されないのだ。
このロシアがつけいる隙があった。それがウクライナにおけるクリミア自治共和国と、ドネツク、ルハンスクの東部二州だった。これらの地域には、ロシア人が多く住んでいた。ウクライナ国籍ながら、ロシア語を話し、自らをロシア人と思う人々である。ウクライナは古くはロシア帝国の一部であり、ソビエト時代も連邦内の一共和国だった。ウクライナ・ロシアの間に、かつて国境はないに等しかったのだ。
ロシア人が多く住んでいて不思議でない。特にクリミアは重要な海軍基地であり、勤務のロシア兵が定住したケースが少なくなかった。さらにいえば、元がクリミア・ハン(クリム・ハン)国で、キプチャク・ハン国から分かれたモンゴル人の国だった。これを十八世紀になって、ロシア帝国が征服した。ウクライナに移されたのはソ連時代の一九五四年で、当時の共産党書記長フルシチョフがウクライナ出身だったからだ。それだけなので、領有の根拠が薄いといえば薄い。もう六八年たつといえば六八年たつが、なお伝統的なウクライナであるとはいいがたい。ましてや住民の多くは今もロシア人なのだ。