2022.3.15
【佐藤賢一緊急特別寄稿】世界史から見るウクライナ情勢「ウクライナは引かない ロシアが引くしかない」
フィクション、ノンフィクションともに、蓄積された知識を駆使した力作を発表し続けている。
好評既刊『よくわかる一神教』で、ウクライナ問題について触れた氏が、緊迫するロシアとウクライナの情勢について、歴史的宗教的観点から考察する。
必読の特別寄稿。
戦いは、2014年に始まっていた
ロシア軍がウクライナに侵攻した。が、ウクライナの抗戦は激しく、ロシア大統領プーチンが最初に意図したような展開にはなっていない。
それは今に始まる話ではない。
二〇一四年、ウクライナのクリミア自治共和国がロシアに併合された。またドネツク、ルハンスク(ロシア語ではルガンスク)の東部二州が、ロシアに併合されることを前提に独立を宣言した。これを阻むためにウクライナ軍は出動し、逆に既成事実を守らんと、ロシア軍も国境を越えた。このときで、もう戦いは始まっていたのだ。
難しい問題といわなければならない。
始まりは先だつ二〇一三年にウクライナで起きた政変である。ソビエト連邦の崩壊を受けて、独立国となった一九九一年このかた、ウクライナは政治的混乱と深刻な経済危機に見舞われた。苦境を脱する方策として浮上したのが、EU加盟、さらにNATO加盟だった。二〇一三年十一月、ウクライナ政府はEUとの経済連携協定に合意することになった。が、当時のヤヌコーヴィチ大統領は土壇場で協定への署名を拒否し、親欧米の反対側、すなわち親ロシアに舵を戻したのだ。
それを裏切りとして、ウクライナ国民は激怒した。十一月二十一日夜、首都キエフで市民による抗議デモが起こる。これをきっかけにウクライナでは翌年まで反対運動が続いた。人々が最初に集結したのがキエフの「ユーロマイダン(ヨーロッパ広場)」だったことから「マイダン革命」、あるいは「ユーロマイダン騒乱」と呼ばれる事件である。