よみタイ

2月15日はブッダの命日〜コロナ時代の今こそ噛みしめたい、仏教の祖「最期の言葉」

いつも心に「マイ仏教」を

 つまり、釈迦は死に際に「ワシが言ったことを思い出して、自分で考えて生きてけアホンダラぁ」と言って逝ったのである。そんなぁ荷が重いぜ、ブッダ!

 というわけで、最後に僕なりのポストコロナでの仏教の実践を紹介してみようと思う。

●ウイルスの気持ちになる
 ウイルスを憎みたい気持ちもわかるが、憎しみは三毒の「しん」に当たる。つまり、憎んだってこちらの心が疲れるだけなのだ。ましてや、話もできないウイルスなんだから、相手が自分の思い通りになるという思考から、まずは距離を置くことが大切だ。

 思えば、ウイルスとは宿主がいないと生きていけない存在で、僕らの体はそもそも菌やウイルスでいっぱいなのだ。そう考えると、だんだんウイルスも自分の一部であると思えるようになってくる。さらにはこの地球で生きているのは、何も人間だけではない。人間だけが今生きなくちゃいけないという自己中心的な煩悩を少しでも抑えられたら、思うようにならないこのコロナ禍も、少しは心が荒まず過ごせるのではないだろうか。

 コロナだって、広まらないと死滅するんだもの。毎日、死の瀬戸際で不安だろう。彼らが日に日に感染拡大していくのも、死にたくないからである。こうやって、ウイルスに憑依し、自分にふりかかる多少の災厄は彼らのためだと思いこんで、自分の怒りを観察していく姿勢が、僕のコロナ禍での仏教の実践である。「コロナを憎め!」と扇動する人もいるけど、本当に憎まなければいけないのは、相手を憎むことでしか救われないと思っている自分の心なのだと僕は思う。コロナの気持ちは完全には理解することができないけど、「死にたくない」って気持ちだけはわかるのだ。

●意味のないことをする
 コロナ禍では「不要不急」という言葉がよく使われた。一番嫌だなと思ったのは、緊急事態宣言時に、意味のある行為、意味のない行為という判断が他人によってなされてしまったことだ。この二項対立自体がそもそも誰かのフィルターにかけた分別によって成り立っているから、そのどちらに偏ってもいけないのである。つまり中道の歩み方だ。仏教では分別をしない、「無分別」な在り方を目指す。

 意味を問われがちな時代だからこそ、誰の意味からも解放された「無意味」を考えることが大切なんじゃないかと思うのだ。自分が思う意味のあることも、結局は自分のフィルターを通して判断していて、そこには社会からの影響があるかもしれない。だから、自分を含めた何者の意味からも解放されるために、無意味をあえてやっていく姿勢が重要なのだ。

 僕がコロナ禍でやっていたことは、木に毎日ナイフでしるしをつけたり、扇風機に文豪の顔写真を貼って「あ〜芥川龍之介の風気持ちいい〜」と言ってみることだった。バカバカしいかもしれないが、不思議と心が楽になるのだ。自分の人生に手垢がついて、愛着がわくような気がしてくる。ドラ息子の方が可愛いみたいに。
「こんな時期だから少しでも意味のあることをと思って、資格の勉強をしようと思っています!」というような話を耳にするが、その意味とは誰にとって何のための意味なのか、改めて考えてみる機会なんじゃないだろうか。

 といった感じで、僕は僕なりに時代の隙間で仏教を感じて、しんどさから距離を置くために仏教を実践している。コロナにかかわらず、一切皆苦なんだから、この人生、どうしようもないことは起きる。そんな出来事に仏教を当てはめてみては、自分なりにその化学反応を観察すればいいのだ。それがあなたの中にある仏教であり、誰もそれは否定できない。

 先行きが見えない時代は、とにかく目の前に広がる道に光を当てようとしがちだ。でも、ブッダいわく、未来なんて何が起こるかわからない。未来とは結局、今の積み重ねでしかないのである。そして、その今だって諸行無常なんだもの。思い通りにならないバグが生じることは、どの瞬間だろうと否定できない。だからこそ、ブッダは言う。自分自身に火を灯せと。

 他人をよりどころにしてしまうと、不安は尽きない。でも自分の足で立ってさえいれば、雨が降ろうが槍が降ろうが、明日アルマゲドンを迎えて明後日ディープインパクトになろうとも、「まぁなんとかなる」と思えるものだ。未来を見るのはそれからでも遅くはない。

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新刊紹介

稲田ズイキ

いなだ・ずいき●僧侶。1992年京都の月仲山称名寺生まれで現・副住職。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、寺に定住せず煩悩タップリな企画をやる「煩悩クリエイター」として活動中。コラム連載など、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画しています。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。Twitter @andymizuki
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