2021.1.31
バンプ、鬼滅、ハロプロ、星野源…僧侶が激推し! 仏教を感じるエンタメ作品はこれだ!
「よみタイ」でも大好評だったコラム「罰当たりなほどにユルくてポップな仏教トーク」から選び抜いたエピソードを加筆編集して単行本化。
平成生まれの僧侶・稲田さんが、仏教のあれこれについて独自の視点で楽しくわかりやすく解説する新感覚の仏教本です。
刊行を記念し、稲田さんに僧侶視点で“仏教を感じる”エンタメ作品をご紹介いただきました。
稲田さんは、仏教を意識することなく悟りを開いたともいえる境地に入った人のことを「野生のブッダ」と呼んでいます。そして、この世の優れたエンタメ作品を生み出す人々の中には、「野生のブッダ」が少なくないとのこと。
お話を伺ってみると…出るわ出るわの大ヒット作品だらけ! ぜひ、あのエンタメ作品に見え隠れする“ブッダみ”を感じてください!
(構成/よみタイ編集部)
BUMP OF CHICKEN『supernova』に“無我”を感じる
そもそも「野生のブッダ」という言葉は、BUMP OF CHICKENの藤原基央さん(敬意を込めて「藤くん」と呼ぶ)の歌詞が学生の頃から大好きで、この世界観を伝えるにはどうしたらいいか、悩み抜いた末、自分のなかのBUMP愛と仏教が超新星爆発して生まれた言葉です。
藤くんのブッダっぷりはいろんなコラムでも書いているのですが、一つだけ曲を取り上げて説明するのなら、この『supernova』を挙げます。
藤くんは存在の捉え方がブッダと一致している部分が多いのです。
本当の存在は 居なくなっても ここに居る
――『supernova』 BUMP OF CHIKEN 作詞・作曲:藤原基央
いないけどここにある。
一瞬、何を言っているのかわからないこの存在の捉え方は、『ray』『HAPPY』などでも歌われているテーマでもあります。
藤くんは物理的な「ある・ない」を超えて、存在を認識しているんだと僕は思いました。
では、藤くんにとって「存在」とはなにか。
それは『supernova』の歌詞のすべてに表現されていると思いました。
大事なものは失って初めてその大事さに気づきます。
もし傍にあったとしても、それがあることが当たり前だと思っていたら、その存在はないことと同じなのです。
つまり、本当の存在とは物理的な「ある・ない」に関わらず、それが存在するありがたさを感じられているということ。
だから、たとえ物理的に存在がなくても、「寂しい」という思いを感じられていたなら、その存在があるのと変わらない。
藤くんがよく歌詞にする「透明」とは、こうした物理を超えた存在を描く表現としてよく使われているのだと思います。
これを仏教の言葉で説明すると「無我」です。
仏教では存在を独立したもの、絶対なものとして捉えません。
縁起というあらゆるものの繋がりのなかで、あれがあるからこれがある、あれがなければこれはない、というお互いに支え合う関係性のなかで捉えます。
光は闇がなければ存在しないし、自分もまた他者がいなければ存在しない。だからこそ、あらゆるものは「無我」だと説かれます。
そしてこれが藤くんの言う「透明」なんだと僕は解釈しているのです。