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バンプ、鬼滅、ハロプロ、星野源…僧侶が激推し! 仏教を感じるエンタメ作品はこれだ!

『鬼滅の刃』に“諸行無常”を感じる

『Vジャンプ』のソーシャルメディア『Vジャンプレイβ』にて、『鬼滅の刃』を僧侶が読み解く連載をしているので、詳しくはそちらで読んでもらいたいのですが、『鬼滅の刃』は「現代の仏教説話集か!」って突っ込みたくなるくらい、仏教のメッセージを物語の構造に落とし込んだ作品だと、個人的には思っています。

もはや、そのすべてが仏教そのものだと説明したいくらいなのですが、そのなかでも一つ挙げるとするなら、『鬼滅の刃』ほど仏教の「諸行無常」を明確に表現した作品はないのではないかと。

特に一番好きな表現は、炭治郎の手がボロボロなところです。
関連グッズも含め、あらゆるシーンで炭治郎の手はボロボロなままで描かれます。その手の傷からは彼の想像を絶する苦労が伝わってくるのですが、同時に「時間」を感じさせてくれているのだと思います。

少しメタ的な話をすると、漫画ではキャラクターはあくまで記号として処理される傾向があります。
どれだけ傷ついても、戦闘が一件落着すれば傷も癒えるし、元通りのキャラクターの造形に戻るのが通常だと思います。
でも、炭治郎の手のひらは傷ついたまま元に戻りません。
そのボロボロの手からは、失ったものは戻ってこないという無常の悲しみが伝わってくるんです。

『鬼滅の刃』では、鬼と鬼殺隊が対比して描写されていますが、その対比ポイントとして鬼は再生する存在であるのに対し、人間は傷を負い続ける存在であるというものがあります。
永遠 VS 無常。
これは仏教という思想哲学が2500年間、戦ってきた構図そのものです。

この世界が無常であるがゆえに、克服できない生老病死の苦しみ(四苦)。では、どうすれば心穏やかな生き方ができるのか。
突き詰めた結果、釈迦は、人は永遠に生きられないという諦めから始め、自分の欲望と上手く共存する道しかないと説かれました。
それが仏教のはじまりであり、すべてといっても過言ではありません。
そして、これは炭治郎が作品の中で体現していることと同じだと僕は思いました。

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新刊紹介

稲田ズイキ

いなだ・ずいき●僧侶。1992年京都の月仲山称名寺生まれで現・副住職。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、寺に定住せず煩悩タップリな企画をやる「煩悩クリエイター」として活動中。コラム連載など、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画しています。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。Twitter @andymizuki
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