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午前2時のコンビニで過去問コピーを取る夫、そのとき専業主婦の妻は……。【おおたとしまさ新刊『中受離婚』一部試し読み】

両親ともに公立出身で中学受験の経験はなかった

 一方、杏も、受験勉強にはノータッチだった。勉強を見てやるようなことはないけれど、テストの結果が悪いと、結構な口調でムギトをなじった。穂高は杏のその態度に、ひっかかりを感じていた。そんなに言うなら、少しは勉強を見てあげればいいのに……。
 杏はもともとひとを褒めるのが上手なほうではない。でもただ叱ったって子どもの成績が伸びるはずがない。何を頑張ればいいのかすらわからないまま叱られ続けたら、子どもは壊れてしまう。解法まで親が教える必要なんてないけれど、勉強のやり方くらいは教えてやってもいいんじゃないだろうか。とはいえ、穂高自身が手を出すつもりもない。
 小五になっても、穂高はバスケを優先させた。同学年には上手な子が何人かいて、このチームなら都大会の上位を狙えるのではないかと、皮算用していた。ただ、月に一回の組み分けテストの送り迎えは担当したし、K城、K東、S鴨、M蔵、W中高、W学院など、気になる学校の文化祭には、家族みんなで楽しく参加した。それぞれの学校の違いがよくわかった。
 なかでもムギトが気に入ったのが、W学院、つまりW大学高等学院中学部だった。施設が充実しており、家からも通いやすく、そして何より、両親の母校であるW大学に内部推薦で進学できる。
 W大学系列の高校には「付属校」と「系属校」の二種類がある。付属校はW大学の直系。系属校は別法人によって経営されている学校だ。直系の付属校は、東京都練馬区にあるW学院と埼玉県にあるW本庄の二校。W本庄は高校のみで中学受験はできない。大学の隣にあるW中高は実は別法人が運営する系属校だ。
 自分の母校への進学を希望してくれていることについては、嬉しい半面、大学受験で頑張る姿も見てみたいというのが穂高の本音ではあった。
 穂高自身、高校まではほとんど勉強もせず、バレーボールばかりしていた。浪人中に通った予備校で人生が変わった。生まれて初めて勉強が面白いと感じられた。予備校の講師たちは受験勉強だけでなく、哲学書などさまざまな書物の読み方まで教えてくれて、世界の広さを知った。
 一年でぐんぐんと成績は伸び、東大を狙えるまでになった。数年前までは考えられないことだ。そもそも穂高の両親は高卒。四人きょうだいの上三人もみんな高卒。大学進学を志したのが、家族の中では穂高が初めてなのだ。親戚中を探しても、東京の大学に行った者はほとんどない。金井家の期待を一身に背負っていた。
 東大にはあと一歩届かなかったものの、穂高のW大学進学は、地元の小さな町でもちょっとした話題になった。その成功体験があるから、戦略的、計画的に努力を重ねれば、受験はひとを成長させると穂高は信じている。中学受験なんてやってもやらなくてもいい。本丸は大学受験だと思っている。ムギトだって、大学受験で頑張れば、東大は無理にしても一橋や東工大には受かるかもしれない。そんな七年後も見てみたかった。
 大規模な模試では、志望校を上から順番に書いて、それぞれの合格可能性が示される。第一志望の欄に、ムギトはW学院と書いた。でも、結果は散々だった。本人任せには限界がある。親の関与が必要だと穂高は感じた。
 一方、杏は相変わらずテストの結果を叱るだけ。叱るというより、単にけなしているようにすら見える。ムギトなりに頑張っているのに、褒めている感じをついぞ見たことがない。
 杏の家族でも、大卒は杏一人だけ。高校までは地元の公立に通ったが、いわゆる地頭がいいのか、大学受験では塾の力も借りずにW大学に合格した。だから、できない子の気持ちがわからないのだと、穂高は見立てる。「いいところを見つけてもっと褒めてやりなよ」「叱るんじゃなくてやり方を教えてあげたほうがいいんじゃないの?」と、穂高は杏に求めるが、のれんに腕押し。
 もどかしい膠着状態が長引いた。口を開けば雰囲気が悪くなるので、夫婦の会話はどんどん減っていった。
    

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おおたとしまさ

おおたとしまさ/教育ジャーナリスト。
1973年、東京都生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退、上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育媒体の企画・編集に関わる。教育現場を丹念に取材し斬新な切り口で考察する筆致に定評があり、執筆活動の傍ら、講演・メディア出演などにも幅広く活躍。中学・高校の英語の教員免許、小学校英語指導者資格をもち、私立小学校の英語の非常勤講師の経験もある。著書は80冊以上。

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