2022.7.18
異端の経営学者が最果てのゲイタウンで考えた「商店街活性化」の鍵
那覇都心の異界から南端のゲイタウンへ
「おばちゃんの呼び込みについて行っちゃ駄目だよ」
大満足のおでん屋さんから出たあと、酔い醒ましも兼ねて歩いて30分ほどの距離にある自宅まで帰ろうと、裏路地の奥に進み始めた私に学生は言いました。
「この辺は“出る”からね。気をつけてね」
そう言って学生は、国際通り方面に消えていきました。
出る? どういうこと? そう思いつつ歩みを進めていくと、所々で「にいさん、にいさん」と小さい呼び声が聞こえます。その先に、妖怪のように笑うオバアがスナックのドアの前に座っています。目が合うと、「30分1万円」と言って指を一本差し出しました。得も言われぬ恐怖を感じて、私は足早にその裏路地を引き返して国際通りに出て、タクシーで帰宅しました。
このおでん屋があった裏路地ですが桜町社交街といいます。沖縄では社交街と名がつく通りがいくつかあり、米軍統治下時代は歓楽街として非常に栄えていたそうです。沖縄返還後に徐々に廃れていき、私が沖縄に住んでいた2000年初めには場末のスナックと赤線地帯の名残で商売を続ける人たちが共存する、都心の異界になっていた訳です。
さて、今年の5月中旬。共同研究者の調査に同行して、私は那覇にいました。沖縄から離れた後も通い詰めていた第二の故郷と言っていい場所ですが、コロナ禍もあり3年近く足が遠のいていました。残念ながら運悪く那覇空港に着くと同時に梅雨入りしてしまい、全日程で雨に見舞われていました。
先に本土にもどった共同研究者と別れて那覇のホテルに滞在中、ふと「桜坂のおでん屋」を思い出しました。5月の沖縄にしては珍しく半袖だと寒いし、滞在先のホテルから歩いて10分ほどなので丁度よいと、足早に桜坂に向かいました。記憶を辿ってたどり着いたおでん屋さんは、女将さんが亡くなったらしく、残念ながら閉店していました。
ただ、その悲しみより大きな驚きがありました。桜町社交街の「異界感」が大幅に薄れてしまっていたことです。ここ数年の間に、ハイアットリージェンシーをはじめ、大型観光ホテルが出来て人の流れが変わったこともありますが、かつて怪しいスナックが並んでいた通りが、オシャレなカフェやバー、料理店に入れ替わり、観光客や若者が集まる場所に変わっていたのです。
ただ、異界感が薄れただけで、なんとも言えない違和感を、私は肌感覚で感じはじめていました。どの程度この通りが変わったのかを確かめようと歩いていると、なんとなくすれ違う人からの視線を感じます。なんか、さっきから男の人としかすれ違っていないような……さっきから「会員制」と書いてあるバーが多いような……。
スマホで店舗情報を確認してみると、「会員制」と書かれているお店は全てゲイバーでした。一帯を歩いて確認した所、30軒ほどのお店を確認することが出来ます。沖縄返還50年を迎えて、かつて米兵と沖縄女性の悲喜こもごもが繰り広げられた社交街は、ゲイタウンを中心とした若者が集まる街として再生していたのです。