2022.4.18
BEGIN、HY、MONGOL800……異端の経営学者が読み解く、音楽と共に生きる沖縄ミュージシャンのビジネス構造
息の長い活動が続く沖縄出身ミュージシャン
話は少し変わって、2010年代後半から、「いか天」を中心としたバンドブームのその後を掘り下げる記事や書籍が、各方面で発表されています。「いか天」からは多くのバンドがメジャーデビューをし、オリコンランキングでトップ10内にランクインするようなバンドも多数出ました。しかし、ブームが去ったあとの彼らを追っていくと、必ずしもメジャーデビューが彼らの幸せにつながっているわけではありませんでした。
あるバンドは、音楽会社のいいなりで契約してしまい、CDの売上やライブの回数の割に安価なギャラしかもらえませんでした。
あるバンドは、メジャーデビュー曲の大ヒットが基準となり、第二作以後の売上は悪くないのに、売上低下を責められ続け、数年後には契約を切られてしまいました。
あるバンドは、「売れるためにはこうしろ!」と会社やプロデューサーの意向に従っているうちに、自分たちがやりたい音楽を見失っただけでなく、インディーズ時代を支えてくれたファンも失ってしまいました。
ブームが過ぎたあと、大人たちのビジネスの論理に振り回され、あのときに活躍したバンドの多くが苦しみと悲しみの中で解散したり、活動を停止していきました。そんな中でも活動を続けてメジャーに復帰し、2010年代に再び脚光を浴び世界ツアーを実現し、全盛期を迎えた人間椅子のようなバンドもありますが、どちらかというと稀な成功例と言えるでしょう。
それと対照的なのが、沖縄出身のミュージシャンです。ミュージシャンとして生活していくには良い環境が沖縄にあることから、沖縄出身のミュージシャンはメジャーデビューをしたあとも、沖縄に活動の拠点を持ち、息の長い音楽活動を続けるケースが非常に目に付きます。紫はその先駆けですし、BEGINのボーカル比嘉栄昇さんも石垣在住です。紅白出場経験のあるHYも2013年にメジャーレーベルと契約解除して沖縄に戻り、自主レーベルを立ち上げました。
アルバム『MESSAGE』で、インディーズとして史上最高のセールス記録(280万枚)を記録した、MONGOL800もその代表例でしょう。『MESSAGE』の収録曲である「あなたに」が大ヒットし、2002年に紅白出場の依頼があったのにもかかわらず、それを断り那覇の小さなライブハウスで年越しライブを開催しました。一方で武道館を含めた全国ツアーを展開しつつ、他方では沖縄県内の小さなライブハウスや大学祭、フェスのステージにも頻繁に登場する、最強のインディーズバンドがMONGOL800です。
彼らにとっては、武道館も沖縄のライブハウスも同じステージであり、自分たちがやりたい音楽を、マイペースに続けていくことがいちばん大事なのです。