2021.12.24
一度は離婚したタクシー運転手の夫と再婚したわけ
日経新聞などの書評欄でも紹介された、昭和・平成・令和を貫くタクシードライバーたちの物語を、期間限定で全文無料公開します!(不定期連載)
前回は、ベテラン運転手・磯部から見える日本が語られました。
今回は第1回の女店主が登場します。彼女の夫の正体は……。
いつも鏡を見てる 第22話
東京 2019年
女主人の黒革の財布
おりか家の女主人がその店を自宅の近くに開いたのは、熟慮した計画の末ではなかった。駅前の商店街を外れ、かといって住宅街でもない場所に「貸し店舗」の札が下がったそこを通かかったとき、唐突に、ここで店をだしてみたいと思い立ってのことだった。看板には「大分家庭料理」と謳い、謳うからには、料理だけでなく、酒も大分県のものを揃えた。店内に並べた焼酎のボトルは大分県産を中心に九州のものばかりだし、一銘柄だけ置いた日本酒、ちえびじんの蔵元は、彼女のふるさとから遠くない、大分県杵築市にある。
東武東上線、東武練馬駅の北口を降り立った人の波は、駅前通りの左右に並ぶ飲食店の先に建つイオン板橋ショッピングセンターに向かって歩きだす。波の半分が巨大スーパーに飲み込まれ、あとの半分は交差点で三方に分かれ消えていく。路地に一歩入れば、そこは駅前の賑わいとは無縁な、商店街と住宅街をつなぐ緩衝地帯に姿を変え、もしかすると、それが逆に、おりか家の存在を引き立てる効果を果たしているのかもしれないと思う。20分で100円のコインパーキングは、格安ぶりのせいか電光板の赤い文字がいつだって「満車」を表示している。
1年半前、おりか家のオープンを知った私はすぐに開店祝いの花を送っているが、しかし、それっきりで、初めて店を訪れてみたのは、この日、2019年12月のなかばである。ランチタイムだった。店は、コインパーキングの向い、白い三階建ての地階にあると聞いて、想像したのは「10人も入ればいっぱいになるカウンターだけ」だったから、店内の、思いのほかの広さに驚いたのだった。
押しかけた客は目当てのランチを済ませると早々に職場に戻り、昼の営業時間が終わりかけているおりか家の店内に残ったのは、奥のテーブルに陣取って焼酎のボトルを静かに囲む高齢の4人組と、カウンター席の私だけになっていた。
女主人がカウンターの上に無造作に置いた黒革の財布に染み込んだ年季は、そこに込めた彼女の思い入れの深さに等しいのかもしれない。それは、彼女が東京で暮らしだして1年ほどしたころ、新たな生活のなかで初めて自分だけのために買った一品だった。言ってみれば、農家の生活に決別を告げる意味を持つ記念の品で、当時の彼女には高価な、1万5000円の財布である。
おりか家の女主人、藤枝香織が、生まれ育った地、峰田市峰田西町をでて東京に移り住んだのは2008年10月のことである。
その日、羽田空港に到着した香織を、かりそめの形であるにしても離婚した彼が迎えにでていた。タクシーの日車営収は下降線を辿りだした時期ではあったけれど、前の月の彼の水揚げは100万円ほどあり、税込みの給料は60万円にもなっている。農業時代の彼からすれば天と地ほども違う収入で、タクシー運転手として10か月、それなりになった姿を見せたかったのか、営業車で空港に乗りつけ、自腹で香織を乗せて省東自動車の家族寮がある板橋区へと向かったのだった。
東京にでてきたその日からさんざん世話になった営業部長、法師誠也が、それから2年後、定年で退職した。それを機に、彼も省東自動車を辞めている。東武東上線の駅にして上板橋のひとつ先、東武練馬の駅から歩いて10分とかからない距離にある北光自動車交通に移ったのは2010年のことだ。住まいも職場近くに引っ越している。香織と彼は元の鞘に収まり、2度目の婚姻届を板橋区役所に提出した。そして2017年6月、香織が、おりか家をオープンする。
奥のテーブルの4人組は、もの静かな酒宴をいっこうに切り上げる気配がない。香織は、ときおりそこに視線をやり、「それで?」みたいな表情を私に向けた。新人運転手時代の山中修がキミガハマまで走ってしまった失敗談を黙ったまま聞き終え、黒革の財布に手をおいた。
「タクシーって、鏡みたいですよね」
彼女はそう言った。それは、私がまだ北光自動車の運転手だったとき、自販機の横の灰皿を囲んだ豊田康則と私を前にして、磯辺健一が言ったのと同じ言葉だった。