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ある彫師の壮絶な人生──劣悪な家庭環境、親友の自殺、完成直前に死んだ客【育ちの良い人だけが知らないこと 第3回】

形見は花山薫のフィギュア

2020年のある日、柏木のもとに警察がやってきた。

警察が身元のわからない死体の刺青の写真を持って柏木の元に聞き込みに来ることにも慣れていた。でもその日見せられた写真には動揺を隠せなかった。

「顔はぐちゃぐちゃだったけど全身の刺青の柄でアキラ本人だって判別ができた」
身体を覆い尽くす刺青は明らかにアキラのものだった。

アキラはコロナの持続化給付金の上限である100万をもらったうちの97万円を風俗で使った直後に飛び降り自殺をした。
「死ぬならこんな日がいいと思えるくらい」気持ちよく晴れた日のことだったという。

アキラの部屋を片付けていると彼が大好きだった花山薫のフィギュアが現れた。柏木はそれをアキラの形見として、彫場に持ち帰った。

アキラはタトゥーを掘るためのロータリーマシーンを作ることを得意としていた。
手彫りの5倍は速く仕上がるため、彫師たちはロータリーマシーンを使うことが主流だ。生前のアキラから「18金製のロータリーマシーンを作ってやるよ」と約束を結びつけていたが、その約束が果たされることはなかった。

死から遠ざかるために、願掛けとして刺青を彫る客

裏社会の人間をよく知る柏木の周りでは人が亡くなる機会が多い。
死から遠ざかるために、願掛けや験担ぎの意味を込めて刺青を彫る客が多いのだという。

長生きの願掛けとして柏木はトシという客の背中一面に大きなお地蔵さまを彫った。
刺青が完成した直後にトシは喧嘩で頭を殴られ、脳の後遺症で片足が不自由になった。それでもトシは「傷があと数センチずれていたら死んでいました、地蔵のお陰で命が助かりました」と刺青をありがたがり、柏木に感謝を表した。

しかしその一年後、トシは交通事故に遭って亡くなった。

「あと一回来ればいよいよ大きな背中一面の刺青が完成するというところで懲役に行く人や亡くなる人が多い」。
柏木から語られるこのエピソードは、ひやりとするほど淡々と語られた。

「アウトローは寿命が短いから仕方ない」

彼はあまりにも数え切れない突然の死に慣れているのだ。
柏木の話を聞いていくうちに私はどんどん人の死に衝撃を感じなくなっていった。
ここに書けなかった人のエピソードを含めても、柏木の周囲ではかなりの人数が亡くなっていた。最初は心を痛めながら聞いていたはずなのに。
痛みの受け止め方が変わるのも、感情が薄くなるのも、脳の防衛なのだろう。
柏木の言葉を借りるなら、裏社会に関わる人間はこうやってどんどん「狂って」いくのかもしれない。
彼から感じていた捉えどころのなさの正体がやっと分かった気がした。

育ちの悪い私にとって、タトゥーは今も昔も気がつけば身近にある存在だった。
取材をする中で、どうしても友人との約束の時間を守れず毎回遅刻をしてしまうからと「遅れてごめんね」と腕に彫った人物にも出会ったし「もう浮気はしません」と彫るように妻に言われて下半身に彫ったという人物にも出会った。
私は絶対に彫りたくはないタトゥーだが、もしその程度で彼らの生活が上手くいき場を和ませられるのであれば彫るという選択肢にも肯定的かつ楽観的だ。
もちろん誰もがその価値観を持っているわけではなく、そんなメッセージのタトゥーに嫌悪感を覚える人の価値観も理解できる。

人は同じ世界に生きているようでも自分の価値観以外の現実については全く無知で、蚊帳の外だ。だから私が出会った人物たちは、タトゥーにまつわる背景の詳細をわざわざ育ちの良い人に伝えて不快感を与えようとはしてこなかった。
だが「刺青をたくさん入れれば入れるほど偉い」という世界は確かに存在するし、子供の頃からタトゥーを宿す大人を見慣れていればタトゥーを入れる選択というのはそんなに特別なことではない。
ネットが広がる以前は裏社会の人間でさえタトゥーが入ってる肌を出して歩くことはとてもできなかった。秘すれば花のような価値観を美徳として浸透していたこともあったが、刺青を出すことは一般人を脅すことに等しい行為という側面もあったからだ。
だがネットの普及により、これまでならタトゥーを目にする機会のなかったであろう育ちの良い人もタトゥーを目にする機会が増え、タトゥーを彫る人も増えた。
この先さらに多くの様々なルーツを持つ人間を受け入れる社会になるにつれ、いつか誰もがタトゥーにあらゆる感想を持たなくなる日がくるかもしれない。
そうなれば、個を表現する選択肢の一つとしてタトゥーは選択される。
タトゥーと「育ち」の関係はなくなるのだ。

 次回連載第4回は5/7(火)公開予定です。

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新刊紹介

かとうゆうか

1993年生まれ。マーダーミステリー作家。シナリオを担当したマーダーミステリーに「償いのベストセラー」「無秩序あるいは冒涜的な嵐」「ザ キャリーオン ショウ」などがある。共著に「本当に欲しかったものは、もう Twitter文学アンソロジー」。

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