よみタイ

質問に答えないと明言する社会学者のもとに集まる匿名の投稿たち【こんな質問が来る 第1回】

顔や素性どころか性別や年齢さえ知らない人と鳴らし合う霧笛

 そんなことを考えていると、しばしば「これは回答しないでください」と念を押してお便りを送ってくる人がいることに気づく。誰かに知られては困るのだが、自分だけではどうにも持て余してしまう経験や思いを長文にしたためて送ってくるのだ。「答えるとはかぎらない」、つまり「かならずしも答えるために募集しているわけではない」という僕の独善的な下心が、期せずして彼らに宛てのない秘密の置き場所を提供してしまっているのだろう。

 僕の好きな映画に、昔の人は木の洞(うろ)に誰にも言えない秘密を囁いたという言い伝えが出てくる。どうやら監督の作り話らしいのだが、その映画を見るたびに「木も迷惑だろうな」と思う。僕も似たようなものだろうか。でも僕はどこの誰とも知れない人の秘密だけを受け取り、そして、すぐに忘れるのである。

 どうなんだろう。覚えていてほしかったのかな。でもごめんなさいね、ここはこういう場所だから。そう思っていつもさらさらと忘れてしまう。僕は忘れることだけは上手なのだ。

 刹那的といえばそうだけど、顔や素性どころか性別や年齢さえ知らない人と鳴らし合う霧笛のようだとも思う。深い霧のなかを航行する船がすれちがう。お互いの姿さえも見えないが、霧笛を鳴らし、そこにいることだけを知らせ合い、確かめ合う。そしてすれちがって、お互いに何も知らないまま霧の彼方へ遠くなっていく。これもまたインターネットの時代ならではの人間関係であるなと思う。

 でも、何かの拍子に、ふと忘れていたことを思い出すときもある。数年前にあの質問を送ってきた人、いまどうしてるんだろう。こんな時代に、深い霧の海を行く見知らぬ誰かを思う瞬間である。

(第1回・了)

 次回連載第2回は11/26(水)公開予定です。

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント
中井治郎

(なかい・じろう)
1977年、大阪府生まれ。社会学者。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。著書に『パンクする京都』『観光は滅びない』『日本のふしぎな夫婦同姓』がある。

X(旧Twitter)@jiro6663

週間ランキング 今読まれているホットな記事