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質問に答えないと明言する社会学者のもとに集まる匿名の投稿たち【こんな質問が来る 第1回】

「ジロウ」というX(旧Twitter)のアカウントをご存じだろうか?
社会学者の中井治郎さんが運用するこのアカウントには、匿名で質問を投稿できるウェブサービスを通して毎日50個以上の質問が届く。
ジロウがXに返答やリアクションを載せると、たびたびSNS上での「バズ」や時に「炎上」が起きる……

「ジロウ」こと中井治郎さんが、そんな不可思議な「質問箱」の状況と、頻繁に届く質問の類型を読み解く、新感覚エッセイ連載がスタート!
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

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「答えが欲しい人はよそへおまわりください」

 ひとくちに人間関係といっても、インターネットの時代には僕らはずいぶん奇妙なかかわり合い方をしているなと思う。

 もう10年近くになるだろうか。SNSで、いわゆる「質問箱」というものをやっている。その種のサービスの原点と言える「Peing-質問箱-」をはじめ、僕自身いくつかのプラットフォームを渡り歩いた。いずれも匿名で投稿を受け取ることができるサービスである。年月を数えると、ネットの遊びとしてはもうずいぶんなベテランといえるかもしれない。しかし、あらためて見直してみると僕の質問箱はどうにもおかしなことになっている。

 いつのまにか質問を投稿するトップページにこんな一文を掲げるようになったのである。

「ここは僕が好きな話をする場所です。答えが欲しい人はよそへおまわりください」

 幸いにして僕はまだ見ていないのだが、地獄の門には「この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ」と書いてあるらしい。でも、僕がここで来訪者に捨ててくださいとお願いしているのは答えへの期待である。自分で質問を募集しておきながら、それに対する答えは期待しないように、というのである。ずいぶん勝手な話だ。

 さすがに最初はこんな図々しいことも書いていなかったような気がするが、もはや記憶も定かではない紆余曲折があり、いつの間にかこんな看板を掲げることになってしまった。「答えないぞ」というのなら、なんのためにまだ質問を募集しているのだろうか。われながら、意味がわからないなと思う。

 それでも、今日も「質問」は届く。

 とはいえ、入り口に答えを期待するなと書いてあるためか、とくに答えを求めるのではないひとりごとや日々の雑感も多い。注意書きをよく読む真面目な人たちなのだろう。嫌いではない。「先生に宛てたお手紙のように書き始める」という小学生の作文教育でおなじみの「先生あのね」のようなものがよく届いている。そういうものはもはや、質問ではなくお便りである。そのようなものも含めて一日で50通ほども届くだろうか。何かの話題で盛り上がっているときは一日200通ほどに達することもある。

「好きですと告白したら“ありがとう”と返されたけど、これは舐められているのか?」などの恋愛あるあるや、「上司のおじさん言葉への嫌悪感が止まらない。“鉛筆舐め舐め”とか、本当に無理」などの誰に相談するほどでもない職場のもやもやなど、特にジャンルの傾向もない。たまにもうすぐ咲く花の話をしてくれる人もいる。みんなそれぞれ他愛のないことを言い置いてゆく。ただ、議論が盛り上がっている時ほど、まっすぐ生きる少年少女や家族のために身を粉にして働く大人なら白目を剥いて気絶しそうなくらいどうでもいい話題であったりする。

 多くの人の「言及欲」に火がついてしまった時などは、数時間ぶりに質問箱を開くと、たまったお便りがスクロールしてもスクロールしても終わりなく続いている。数えきれないほどの「どうでもいい話」が読まれるのを待っているのだ。

 いつも、今日もみんな暇そうだな……と思って見ているが、「明日のプレゼンに間に合わない!!」「履修登録ミスった!」など、混乱しすぎて優先順位を大きく間違えた挙句、もっとも不要不急である僕の質問箱に飛び込んでしまったお便りも少なくない。なんだ、みんな大変なんだな。知らんけど。

 しかし、その多くに僕が答えることはない。そのお便りを見ていてたまに思いついたことがある時だけ、無責任な野次を飛ばす。または、相手の欲しい答えを無視してたまたま連想しただけの僕のしたい話をしたりする。

 答えを期待するなと言いつつ質問を待ち受けている自分も意味がわからないし、そこに投稿する人も不思議なものである。顔も知らない誰かが深刻だったりそうでなかったりする言葉を投げかけ、僕はいい加減な相槌を打ち返したり打ち返さなかったりする。もはや問答ではなく森の鳥が鳴き交わすようなものだなと思う。いや、鳥だってもうちょっと実のある情報交換をしているかもしれない。

 そういえば、問わず語りという日本語がある。良い言葉だなあと思う。夜の酒場が似合う言葉だ。きっと静かな店だろう。オレンジ色の照明の下、酔いを言い訳にぽつりぽつりと雫のように言葉がこぼれ落ちる。カウンターの向こうにはそれを黙って聞き流してくれる髭のマスターがいるのだろう。良い。ひじょうに良い。大人の情景だ。行きつけのバーが恋しくなる。僕は下戸だから行きつけのバーなんてありはしないのに。

 とにかく、そんなふうに人間には誰かに話を聞いてほしいときがある。しかし、人間が人に期待することは実に複雑である。話は聞いて欲しいが、答えが欲しいわけではない時も多い。投げた言葉がただぽっかりと空間に浮かんで、それがさらさらと流れて消えていくのを誰かと眺める時間の方がずっと優しく感じるときもある。そんなとき、人は髭のマスターに問わず語りをやってしまうのだろう。いや、僕は飲めないからよく知らんのだけど。

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中井治郎

(なかい・じろう)
1977年、大阪府生まれ。社会学者。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。著書に『パンクする京都』『観光は滅びない』『日本のふしぎな夫婦同姓』がある。

X(旧Twitter)@jiro6663

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