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ブンゴウ泣きたい夜しかない。~文豪たちのなんだかおかしい人生劇場

【文豪と猫】「ノラやお前はどこへ行ってしまったのか」〜いなくなった愛猫を思い、ひたすら嘆き、哀しみ、思い続けた内田百閒

ノラはきっとまだどこかで生きている、と信じ続けた百閒

百閒のもとにはたくさんの情報が寄せられ、ノラに似た猫がいるとの知らせのたびに使いをやり、弟子や家人は埋められた猫の死体を掘り返したこともあったといいます。それでもノラは見つからず、百閒はノラがよく風呂のふたの上で寝ていた事を思い出すからといって風呂にも入ることもできず、ノラがお寿司にのっている薄い卵焼きを美味しそうに食べていた姿を思い出すから寿司も食べられない…と、毎日のように泣きながら暮らしました。

「猫一匹の事ではない。ノラがいたままのもとの家の明け暮れが取り戻したい。制すれども涙止まらず」(『ノラや』より)
 
百閒にとってノラはただの猫ではなく家族のような存在だったのでしょう。今頃どうしているだろうか、元気にしているだろうか、と心配する百閒でしたが、結局ノラが戻ってくることはありませんでした。

ところがある日、ノラによく似た猫が百閒の家にやってくるようになります。その振る舞いも良く似ているものだから、この猫はノラの兄弟かもしれない、という話になります。
百閒は「ノラの言伝ことづけを伝えに来たと私は思い込んだ」(『ノラや』より)と、この猫をクルツ(尻尾が短かったのでKurz=短いというドイツ語)と名付けて飼うことにします。百閒はノラと同様にこのクルツのことも溺愛しましたが、そのクルツもやがて寿命がつき、百閒たちの号泣の中、死んでしまいます。

「寒い風の吹く晩などに、門の扉が擦れ合って、きしむ音がすると、私はひやりとする。そこいらに捨てられた子猫が、寒くて腹がへって、ヒイヒイ泣いているのであったら、どうしよう。ほっておけば死んでしまう。家へ入れてやれば又ノラ、クルの苦労を繰り返す。子猫ではない、風の音だった事を確めてから、ほっとする」(『ノラや』」より)
そういって百閒は二度と猫を飼うことはありませんでした。

ノラがいなくなって8年後、百閒は『輪舞する病魔』という文章で少しだけノラについて触れています。

「それから丸八年経つ。しかしそれでも私は、今にもひょっと帰って来やしないかと待ち心を捨てないでいる。(中略)ノラはきっとまだ、どこかで生きている。今に帰って来ないとは限らない」(『長春香』より)

百閒は、何年経とうともノラのことを忘れることはなかったのでした。

※本文中で引用した作品内の文章は、『ノラや』(ちくま文庫)、『長春香』(福武文庫)をもとにしております。
※本コンテンツ内の文章・画像については無断転載・複写・引用を固く禁じます。

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進士素丸

しんじ・すまる●1976年2月生まれ。ライター・文筆家。「文豪どうかしてる逸話集」(KADOKAWA)著者。文豪や歴史にまつわるツイートも話題に。
雑誌・ウェブ媒体などに寄稿しつつ、映像制作やデザインなども手掛ける。

Twitter●@shinjisumaru

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