よみタイ

戦国メイド喫茶「ガチ恋」の流儀

記憶喪失になったガチ恋勢

 そんな訳で細川りなちゃんを推している人たちは一癖も二癖もあるのだ。たとえば細川軍の筆頭(=TO:トップオタ、一番推してる人の呼称)は、彼女と壮絶な喧嘩をした後に仲直りした人で、彼は社会科教師だったことから「先生」と呼ばれていた。他にも、秋葉原とは縁のない会社員だったのが、細川さんに出会ったことでメイド喫茶やアイドル文化にハマり、後には地下アイドルのプロデューサーを始めた人もいる。

 そんな細川りなちゃん推しの中でも、ワシが出会ってきた中で最も壮絶な人生を送ったのが「Tさん」だった。席が近くなった時に知り合ったのだが、彼は細川りなちゃんのことが熱烈に好きらしく、その時もいかに彼女が素晴らしい女性かを説いていた。Tさんはスタイルの良い青年で、メイド喫茶のオタクというより銀座で飲んでいるようなオシャレさがあった。

 ただ、ある日のことだ。ワシが店に顔を出すとTさんが悲痛な面持ちで席に座っていた。そこには高いシャンパンのボトルが並び、メイドさんが飲むためのグラスが無数に置かれている。推しのイベントがある時か、自分の誕生日にシャンパンを注文することはあるが、この日はどちらでもないはずだった。

「実は、仕事が変わったんで遠くに引っ越すんですよ。もう前みたく会えないと思うんで、せめて今日は豪華にしようと」

 Tさんは力なくそう言っていた。悲しい別れである。あれほど推していた、いや、愛していた相手と離れるのは辛いことだろう。これは細川さんへの別れの盃であった。

 ただ、そのTさんは翌週も店に来ていて、同じようにシャンパンを並べていた。

「いや、行きたくないって言ったら転勤しないで良くなって。今日はそのお祝いです」

 良かった、良かった。これで今までのように会えるだろう、とワシも安心した。しかし、Tさんの人生は波乱に満ちていて、また少し後には大量のボトルに囲まれていた。

「結婚、することになったんです。前から話はあったんですけど、りなちゃんに伝えられてなくて。きっと、今日が会える最後の日です」

 なんということだ、と思った。やはりメイド喫茶というのは非日常で、どれだけガチ恋勢に見えても、日常は日常で大事にする人がいて結婚のことも考えているのである。Tさんはメイド喫茶で遊ぶということをわきまえ、その最後に推しへ精一杯の贈り物をしようとしたのだ。

 ただ、その翌週もTさんは店にいた。相変わらずテーブルにボトルが並んでいた。

「結婚相手の女性、浮気してたんです。裏切られたんですよ。もう、誰も信じられない」

 こんな不幸があるだろうか。Tさんは現実での悲劇を、この非日常のメイド喫茶という空間で癒やしに来ていた。推しの細川りなちゃんに慰められることで、女性不信から立ち直ることができればいいが。なんとなく細川さんは困った表情をしていたが、これは気のせいだろう。

 そして事件は起きる。

 あれから数週間、Tさんは全く店に来なかった。さすがに心配になり、彼が書いているブログ(店のメイドさんや常連も同じブログサービスで書いているから相互でよく見ている)を見ることにした。すると、そこには「今、病院です」というタイトルの記事があるではないか。

「事故に遭って、しばらく意識がなかったそうです」

 よほどのことだが、ひとまずは無事であるとわかり、ワシは胸をなでおろした。しかし、続く言葉に我が目を疑った。

「記憶喪失らしく、ここ数ヶ月、自分が何をしていたか思い出せません。今はこのブログをたどって、何をしていたか確かめているところです」

 とんでもないことだ。思わず息を呑む。

「どうやらメイド喫茶に行っていたみたいですね(笑)。店のカードが財布に入ってました」

 ブログには戦国メイド喫茶のポイントカードを撮ったものが載っていた。

「あと、このお店のことを調べました。『細川りなちゃん』っていう子、なんだか覚えがあります。彼女はもしかしたら、大事な人だったのかもしれません。会いに行きたいな」

 そこでブログは終わっていた。おそらくTさんは失われた記憶を取り戻すため、細川さんに会いに行くはずだ。きっと、そこで彼は全てを思い出すことだろう。ワシはそのことを願い、静かにスマホの画面を閉じた。

 後日、細川りなちゃんに話を聞くと、実際にTさんは会いに来たのだという。

「いや、でもですよ。私もあのブログ読んでますから、もう知っちゃってるんですよ。記憶喪失です、って言われて、どう返答すればいいかわからなくないですか?」

「なんて返したの?」

「お久しぶりです、って言って、あとは普通に接しました」

 さすがである。細川りなちゃんは冷静なメイドさんなのだ。なお、この話は友人のとんとんと常に共有していた。そんな彼からの評価は。

「ガチ恋勢ってヤバいっすね!」

(つづく)

 連載第7回は2/24(木)公開予定です。

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柴田勝家

しばた・かついえ
1987年東京生まれ。成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻博士課程前期修了。2014年、『ニルヤの島』で第2回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞し、デビュー。2018年、「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」で第49回星雲賞日本短編部門受賞。著書に『クロニスタ 戦争人類学者』、『ヒト夜の永い夢』、『アメリカン・ブッダ』など。

Twitter @qattuie

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