よみタイ

できないことだらけの毎日で【第7回】ままならない体と心

歌人の齋藤美衣さんの著作『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』は、自身が内包する「傷」を掘り下げ、その筆力もあいまって話題となりました。続けて刊行された歌集『世界を信じる』も、暮らしの中の一瞬や移ろいを清澄な言葉でとらえ好評です。
日々を過ごすなか、また、過ぎた時間のなかに、惑い途方にくれること、悔恨、屈託、解放されたこと…暮らしの断片と陰影を、歌に込め文に紡ぐ短歌エッセイです。

バナーイラスト/鈴木千佳子 本文写真/著者提供

朝光(あさかげ)に喉元あはく照らされてからだ以前のわたくしである

 手首のスマートウォッチが振動して目が覚めた。朝5時だ。ベッドの上に半身を起こすが、ふらふらしてとても体をまっすぐにしていられない。糸が切れるようにどさっと体は再びベッドに横たわる。タイマーを10分にセットして、吸い込まれるようにまた目を閉じる。10分はまたたく間に経って、わたしはもう一度起きることを試みる。だがどうしてもうまくいかない。どうしても体を起こすことができない。ぬるいシーツに頬を押し当てたまま、そこから一ミリも動けない。

 こんな状態が数ヶ月続いている。以前はこうではなかった。4時頃にはぱっちり目が覚めて、すぐに起きて着替えて、お弁当作りをしたものだった。その間も手は動かしながらPodcastを聞いたり、ドキュメンタリーを見たり、料理のちょっとした待ち時間に、乾燥が終了した洗濯物を畳んだりした。ごはんが終わったら、すぐにお皿を片付けて、お風呂とトイレを掃除して、ベッドを整え、その他の家事を終えて、9時にはわたしは仕事を始めていた。

からだとは容れものだつたでせうかわたしのからだにわたしは入らず

 ところがどういうことだろう。これまで苦も無くできていたことが、急にどうしてもできなくなった。わたしは驚き、焦った。何か原因があるはずだと病院へ行った。検査をしたが原因がわからない。とりあえず注射を打ったり、薬をもらったりした。ところが、具合がよくなるどころか、めまいや疲労感がひどくなり、体をまっすぐに起こしておくことすらできなくなってしまった。自律神経の乱れではないか、更年期にはよくあることだと言われたけれど、どれもはっきりしなかった。原因がわからないのでアプローチのしようもなく、わたしは具合の悪い体と過ごすほかない。
 これまでのわたしが大型トラックだとしたら、今は錆びた三輪車くらいの心許なさで、こういうときにSNSを開くと、そこには他の人たちの「やったこと」で満ちていて圧倒される。「できないこと」とともにベッドで無為に一日を過ごしたわたしには、タイムラインに流れる誰かの「やったこと」が普段以上にきらきらして見えてしまう。わたしも寝ているだけじゃなくて、もっといろんなことをやりたいと思ってしまう。
 わたしだってSNSに投稿するのは、「やったこと」だったのだと気づく。そしていろんなことができない今、やっぱりわたしが求めているのは「やること」なのだとわかる。でも、どうしてそんなに何かをやりたいのだろうか。ベッドでぼんやりそんなことを考える。わたしとは、「やったこと」でできているのだろうか。世界は誰かの「やったこと」でできているのだろうか。できるということは、できないより価値があることなのだろうか。いや、この問い自体がおかしい。価値があることが、そもそもいいことなんだろうか。

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新刊紹介

齋藤美衣

1976年広島県生まれ。急性骨髄性白血病で入院中の14歳の時に読んだ、俵万智の『サラダ記念日』がきっかけとなり短歌を作り始める。著書に、『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』(2024年/医学書院)、第一歌集『世界を信じる』(2024年/典々堂)がある。

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