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知り合って27年の夫のことを何も知らない【第6回 】夫婦の出会い直し

向き合つてゐるのにあひだに横たはる河はゆつくり広がりてゆく

 結婚して一緒に暮らすようになると、だんだんそれは変化してきた。なんでもわからないから言葉で共有し合う時期は過ぎて、それよりも共同体を営んでいくためのやり取りが多くなっていった。出会う前のことや一緒にいない時間のことを話すのではなくて、生活の中での必要な情報共有や、日常の困りごとや、子どものあれこれについて語ることが増えていった。わたしたちはもう恋人ではなくて、夫と妻だったし、父と母になったし、地域の中での役割もあり、さらに仕事のパートナーにもなっていった。関係性はとても複雑になったのだ。
 毎日を切り抜けるので精一杯で、わたしたちは生き延びるために力を合わせなくてはいけなかった。子育ては大変で休みがなく、結婚して8年目に二人で興した会社を存続させていくのは綱渡りのようだった。わたしたちは無我夢中だった。自分や相手の気持ちをじっくり感じたり、考えたりする時間も余裕もなかった。そうしていつの間にか、わたしたちはいろんな関係性の中で自分のことも相手のことも少しわからなくなっていったのだと思う。
 役割としての個人と、純粋な個人は分けられるものではないと思うけれど、いつからかわたしと夫の間には役割が大きな領域を占めるようになっていった。それが一概に悪いことだとは言わない。それがあったからこそ二人でここまでたどり着いたとも言える。だけれど、わたしたちはドウダンツツジみたいなことをだんだん話さなくなってきた。あまりに役に立つことを話してばかりだったから、どうでもいいことの話し方を忘れてしまったのだ。わたしはそういう話を友達としていたし、友達とおしゃべりするような習慣のない夫は、そもそもどうでもいいことはなかったことにしていったんじゃないだろうか。

あたらしきはるなつあきふゆ巡りきてふたたびきみとめぐり合ひたり

 夫が「ドウダンツツジが好き」と言うのを聞いて、わたしはひそかに「この人ともう一度知り合おう」と思った。そんな大袈裟なことじゃない。わたしが今日道ですれ違った人のこと、夫が夕焼け時に窓から見た雲のこと、どうしてわたしが今日はリンドウではなくワレモコウを買ったのか、夫が最近砂肝でおつまみを作るのに凝っている訳。そんなことを話そう、話したいと思った。わたしがもう十全に知っていると思っていたこの人には、わたしの知らない領域がまだたくさんある、そう思ったのだ。
 この27年、いい時ばかりではなかった。この人とはもうやっていけないのではないかと思ったことだってお互いある。そんな思いがよぎったとき、わたしの中には「この人のことはもうわかった。この人はこういう人だ」という決めつけや、思い上がりがあったように感じる。「ドウダンツツジ」と夫が口にしたとき、わたしは「この人をわたしは知らない」とつくづく思った。そして「ひとりの人を知ることなどできない」と悟った。
 わたしもあなたもいつだって、絶えず変化している。昨日のわたしは今日のわたしと同じではないし、わたしが知り合った頃の彼と今の彼は同じではない。そして二人の関係性の中で、わたしもあなたもいつも揺らぎながら影響し合って変わり続ける。ときどき「なぜわたしは人と暮らしているのだろうか」と考えるのだけれど、それはもしかしたら「世界に新しく出会い続ける」ためにではないかと思う。

となり合ふあなたのこゑにあと幾度わたしの耳はひかるのだらう

 若い頃は、出会ってから年月が経つほどによく知っていくのだと思っていた。今はちょっと違うように考えている。わたしたちはいつだって誰だって新しくなっていって、それはお互いが変わるだけに留まらず、関係性をも変化させる。親子や夫婦など長年培われてきた関係性を変えるなんて至難の業だと以前は思っていた。でも、今は人と人との間のことは、もしかしたらものすごく大きなことじゃなくて、ささやかなことで変わっていくんじゃないかという気がしている。そう、ドウダンツツジくらいのささやかなことで。
 この頃わたしは、夫が帰宅したときに前よりも大きな声で、初めて会う人に向かって言うように「おかえりなさい」を言う。初めて会う人に「おかえりなさい」なんて言うことはないから、変なのだけれど、それまでのもうこの人のことはわかったというのとは違った気持ちで言葉を発していることは確かだ。すると彼も、前よりも丁寧に「ただいま」を返しているように聞こえる。シャワーを浴びて、さっぱりした顔で台所に入ってきた夫は、冷蔵庫から白ワインを出してグラスに注ぐ。料理をするわたしのそばで立ったまま飲みながら、出来上がった料理をつまんでいる彼に、わたしはその日にあったどうでもいい話をする。
 畑のバジルをたくさん摘んだら、手を洗っても指先からずっとおいしそうな匂いがすること。いつも魚を買っているお魚屋さんの前を一度通り過ぎたのだけれど、やっぱりイカが新鮮そうだったから引き返して二皿も買ったこと。下の子がしょっちゅう使っている「ラグい」という言葉をわたしも使ってみたいけど、うまい使い所がわからないこと。そんなことを話しながら料理をする。
 夏にはさっぱりしていて、でも元気になるものが食べたくて、今日は牛肉のトマト煮を作っている。オリーブオイルで玉ねぎと牛肉のうす切りを炒めて、にんにくのみじん切りと輪切りにしたズッキーニを加える。玉ねぎがこんがりしてきて、台所にいい匂いが満ちてくる。トマトを加えてしばらく煮たら、摘んできたバジルをたっぷりちぎって入れる。指先からバジルの香気が立ち上ってくる。
「いい匂いだね」と夫が言い、「いい匂いだよね」とわたしが答える。食卓の花瓶には、ひと月ほども経つのにドウダンツツジがまだうつくしく立っている。わたしは、そこに合わせて飾るために今日買ったワレモコウの話をしようと思いながら鍋をかき混ぜる。彼はワレモコウを知っているだろうか。もしかして「ワレモコウ、前から好きなんだ」と言うだろうか。わたしたちは、この世界であと何度出会い直せるだろうか。

*次回更新は、9月15日(月)です。

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新刊紹介

齋藤美衣

1976年広島県生まれ。急性骨髄性白血病で入院中の14歳の時に読んだ、俵万智の『サラダ記念日』がきっかけとなり短歌を作り始める。著書に、『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』(2024年/医学書院)、第一歌集『世界を信じる』(2024年/典々堂)がある。

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