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どんなクオリアにも「構造」がある──モナシュ大学教授・土谷尚嗣が語る意識研究の最前線

どんなクオリアにも「構造」がある

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 われわれが経験する意識経験の質、クオリアには、つねに何らかの「構造」があります。
 僕たちが「クオリア構造」プロジェクトの取っ掛かりとして選んだのは、色のクオリアです。色のクオリアは、外界の光がきっかけになって経験されることが多いです(ただし、夢の中で色を感じたり、幻覚として色を見ることもあるし、脳刺激で色が直接経験できるので、必ずしも外界の光は重要ではありません)。その光の波長が、360ナノメートルより短い「紫外線」は見えません。そしてそれよりやや波長が長くなると紫っぽい色が感じられる。そして波長が長くなるにつれて、青、緑、黄、赤、という色クオリアが見える。波長が830ナノメートル以上の「赤外線」は見えません

左端が「紫外線」、右端が「赤外線」
左端が「紫外線」、右端が「赤外線」

 ここで不思議なのが、波長は「一次元」的に長くなっていくのに、最後の赤は最初の紫に「似ている」ように経験されることです。これが「色相環」というものですが、なぜ、一次元的な線のようなものが、ぐるっと回って円のような「構造」をつくるのか?

 これをちゃんと実験で示すために、色のクオリア同士の類似度の違いを報告してもらう手法があります。これにより、僕たちはクオリア構造を「定量化」できる、と考えています。
 仮に赤・青・緑のクオリアの類似度を数値で評価してもらうと、青と緑はちょっと似ている感じもするから類似度「6」で、赤と青はかなり違う感じがするから「3」。赤と緑は全然違うから「2」、みたいに互いのクオリアの距離を記述することができます。
 僕たちはそれを93の色に対して行いました。それで分かったことの一つは、色クオリアの構造はかなり複雑だということ。色相環は二次元で表現できますが、色クオリアの類似度の構造は、少なくとも五次元ないと表現できません。今までの手法では、そういう複雑な構造にどうアプローチすればよいかわからなかったんですが、共同研究者の大泉匡史さん(東京大学准教授)が効果的なデータの解析手法を開発してくれました。そのあたりについては次回の大泉さんへのインタビューで明らかになると思います。

AとB、並びに他の〇はそれぞれ異なる色クオリアをイメージしている。AとBの類似度を、「他のさまざまな色クオリアとの相対的な関係性から間接的に測る」のがクオリア構造の基本的なアイデアだ
AとB、並びに他の〇はそれぞれ異なる色クオリアをイメージしている。AとBの類似度を、「他のさまざまな色クオリアとの相対的な関係性から間接的に測る」のがクオリア構造の基本的なアイデアだ

 もう一つ、色クオリアの個人差についての知見にも触れておきます。
 赤と緑の区別がつきにくいタイプの色覚異常の人たちと、通常の色覚を持っている人の間では色クオリアの構造は違います。ですが、両者のクオリア構造を比較した大泉さんとの共同研究で、どうやら、色覚異常の人と、通常の色覚を持つ人では、実は色クオリア同士の関係性はおおむね同じだが、一部の色クオリア同士の関係性だけが劇的に違うのではないか、という予想外の結果が出ました。

 これはまだ論文にしていないから詳しくは触れませんが、僕にとって超驚きです。この発見は、社会的にも重要な結果だと思っています。色覚異常の人にとっての色クオリアがどんなものなのかが、はじめて構造的にわかるキッカケになるんじゃないかと思います。さらに、他人のクオリアはどういうものなのか、それがわかるようになるための重要な第一歩になると思っています。

他者とのクオリアの同じさや違いに気づくのは難しい

 僕らは、ある種の経験に関しては、他人と自分は同じクオリアを感じているだろうと勝手に思い込んでいます。一方で、他人と自分は経験を全く共有できないとも思い込んでいます。本当のところはどうなんでしょうか?
 他者とのクオリアの違いに気づくことはとても難しい。今では常識のように語られていますが、色覚異常の人が違う色クオリアの世界に生きていると気づかれはじめたのって、実は18世紀くらいなのです。
 色覚異常の人も僕らと同じように生活しているし、意思の疎通もまったく問題ない。たとえば色の判別ができなくても、道路の信号機なら光る場所の違いで意味を理解できますよね。そんなふうに、クオリアの違いをカバーする方法はいくらでもありますから、表面化しづらいということです。

 色クオリア構造が違う他人がいることに気づくまでにそれだけ時間がかかったというのは、他人のクオリア構造を知るのが難しいということを意味しているんじゃないでしょうか? 
 色以外のクオリアについても同じことが言えるでしょう。僕がいろんな人と話した感じでは、色や形や動きなどの「基本的」と考えられるようなクオリアについては「他人も自分と似たような世界に生きているはず」と、多くの人が思いこんでいるフシがある。一方、感情や、より高次の概念や認知に関するクオリアについては「自分は他人とは違うユニークな存在」だと多くの人が信じているようです。
 けれど、本当にそうなっているのでしょうか? みんな、思ったより似ていて、思ったより違うのかもしれません。自分と他人のクオリアは、どういう点で同じで、どういうところが違うのか? これは、今後のクオリア構造研究が明らかにしていこうと思っていることの一つです。

クオリアは物理世界と一対一で対応しているわけではない

 光の波長という物理量と色のクオリアの関係もそうですが、客観世界の物理量と主観世界のクオリアは厳密に対応していると考えている人は多いですよね。
 しかし、そうではない。物理量が増えた時に、それに伴ってクオリアが強くなるかというと、そうではないんです。

 たとえば水の温度という物理量と、そのクオリアとの関係を考えましょう。
 3℃の水のクオリアは、冷たいというか、痛くてたまらないですよね。でも20℃くらいだとかなりマシになって、40℃ならとっても心地いい。
 じゃあさらに温度を上げるともっと気持ちよくなるかというとそんなことはない。45℃くらいでもう耐えられなくなって、もっと高い温度だと火傷をします。
 味覚クオリアでも同様で、コーヒーに少し砂糖を入れると美味しいクオリアが感じられる。でも、あんまり入れすぎると、甘過ぎてまずくなる。
 もちろん、人によって、状況によって、何度のお湯が一番気持ちいいか、どのくらいの砂糖の量が一番おいしいのか、は変わってきます。
 だけど、「低温の水は痛く感じるけれど、暖かくなるにつれて心地よい温度があり、それ以上高温になるとまた痛くなる」というクオリアの構造は、皆に共通しているでしょう。
 こういう、万人に、もしくは動物種を超えて共通な構造はどこからやってくるのか? どんな神経メカニズム、そしてそれに支えられる因果関係のネットワークとはなにか? これを明らかにするのもクオリア構造が目指すことの一つです。

クオリア構造を支える「同じ感じ」とは一体どこからくるのか?

 これまでの話に出てきた「類似性」とか「同一性」というのは、クオリア構造だけでなく意識そのものの特徴を考えるときにも重要な概念だと考えています。
 たとえば、夜、寝ると意識が消失して、朝起きるとまた戻ってきます。しかしその時、寝る前の「自分」と起きたときの「自分」を同じだと感じられるのはなぜか。言い換えると、「自分」に同じクオリアを感じるのはどうしてか。
 当然だと思われるかもしれないけれど、よく考えると奇妙な話です。だって、物理的な脳は常に変化していて、寝る前と起きた後では異なるから。物理的に異なるのに、なぜ同じクオリアを感じるのか?
 
 あるいは、5年ぶりに友人と会うと、同じ「友人らしさ」のクオリアを感じるでしょう。でもその友人は、全身の原子や分子は入れ替わり、物理的に5年前とは別の物体になっているはずです。それでも同じ友人らしさを感じるのはなぜか。

 それは、物理的には別物でも、いわば文脈が同じものに対して同じクオリアを感じることが、進化の上で役に立ったからじゃないでしょうか。寝起きの自分の脳も、5年ぶりに会う友人も、以前とは物理的には別物です。だからといってまったく異なるクオリアを感じていたら、色々不都合が生じる。一方で、友人の見た目が変わったことや、自分の考えが変わったことも感じられる。つまり、私達は「違う」と「同じ」を同時に感じられるのではないでしょうか?
 言い換えると、分子や原子といった要素還元的な「低いレベル」だけではなく、もっと総合的な「高いレベル」の構造に対してクオリアが生まれる。これが意識の本質のうちの一つなのではないかと思います。

 今「意識の本質」と言いました。この「意識の本質」とはなにか? ということを突き詰めていって数理的な理論にたどり着いたのが、近年注目されている「意識の統合情報理論」(Integrated Information Theory:略称IIT)です。統合情報理論とクオリア構造のアプローチは、非常に相性がよく、今後、どんどん共同研究が進むと思っています。
 どちらの理論・アプローチでも、この宇宙には、特定の構造に対して特定のクオリアが生まれるような法則があるのではないか、という理論的な提案に行き着きます。その構造がはっきりすれば、人間の脳に限らず、動物の脳がどんなクオリアを支えているかもわかるようになるでしょう。コンピュータの内部で意識が生まれる可能性についても今よりずっとよくわかると思います。

クオリア構造アプローチが目指す、クオリアの科学的研究とは何か

 これまで、「クオリアとは何か」という問いは、主に哲学者が議論してきました。クオリア構造のアプローチでは、その問いそのものからは卒業して、より具体的に、さまざまなクオリアの構造にはどういう特徴があるのかを明らかにしたいと思っています。さらに、その構造の間の関係性も明らかにしていきたいと思っています。
 こういう研究から得られる結果は、現在のみなさんが抱いているような「クオリアとは何か」という問いに対して、納得の行くような期待される答えにはならないかもしれません。
 でも、僕は、科学って、そもそも出発点となる問いに対して答えを出すことだけが目的ではないと思っています。科学は健全な懐疑主義のもとに、厳密な手続きを踏むところに特徴があります。その結果として出てくる答えが、問いが発っせられた当時の前提になっていた世界観の変更を求めるような場合が、一番理想的な科学の進歩だと思います。
 ただ、他の意識研究者たちは、僕とはまた違うことを考えているかもしれない。ですから、この連載で他の研究者たちの話も聞いてみてください。
 そして最後にクオリアについての「答え合わせ」が出来たらいいですね。

 次回連載第2回は9/4(水)公開予定です。

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土谷尚嗣(つちや・なおつぐ)プロフィール

2006年カリフォルニア工科大学博士課程修了。2010年までカリフォルニア工科大学でポスドクを務めた後、科学技術振興機構(JST)のさきがけ研究助成金を受け、2010年に帰国。2012年1月、モナシュ大学心理科学部に准教授(2020年より教授)として着任。2013年から2017年までARCフューチャーフェロー。

主な研究テーマは、意識の神経基盤の解明。最近では、視覚的クオリア間の類似性を大規模に測定することでクオリアの構造を特徴付け、その神経相関と情報構造を明らかにすることを提唱する、意識に関する斬新なクオリア構造アプローチに注力している。

クオリア構造プロジェクトでは、さらに現象学、発生学、構成主義など様々な研究手法を駆使して、知覚から情動領域までのクオリアの構造を推定していく。この分野の成果は、他者の意識の理解、動物の意識の理解、人工知能の理解など、一般社会にインパクトを与える新しい学際的研究プログラムの創出である。

所属:㈱ 国際電気通信基礎技術研究所 脳情報研究所 クオリア構造研究室
〒619-0288 京都府相楽郡精華町光台2-2-2

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佐藤喬

作家・フリーの編集者。著書に『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。構成作は『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極壽一/鈴木俊貴、集英社)、『AIに意識は生まれるか』(金井良太、イースト・プレス)ほか。

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