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アーティストにとっての作品が楽曲なら、政治家にとっての作品は政策のはず。「高市だから推した」“推し活勢”に対する抵抗感を言語化してみた

『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎新書)『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)など、実体験ベースに問題提起を続け支持を集める文筆家の鈴木大介さんによる新連載! 生まれてこのかた「推し」の対象がいたことがないという鈴木さん。「推し活」ブームのいま、あえて「推せない者のしんどさ」を言語化します。

前回の「テレビアニメ世代ど真ん中で『風の谷のナウシカ』のカセットとビデオを同時再生していた僕が「オタク」と一緒にされたくない理由」では「音」にハマり、同世代カルチャーとの乖離を深めていた孤独な幼少時代を振り返りました。今回は「ファン心理」に抵抗感を覚える理由を深掘りします。

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推し無き者が振り返る「推し活選挙」

 圧倒的な自民党の勝利で幕を閉じた衆議院選挙(2月8日投開票)だが、その直後から報道のあちこちに、「今回の選挙は推し活的選挙だった」との批判的評価が上がった。
 それは、文字通りのサナ活(高市早苗氏の身に着けるグッズやコスメ等が若年層に売れる等、アイドル向けの推し活同様の現象が高市氏に対して起きたこと)や、高市氏による「円安ホクホク失言」や旧統一教会との関係性問題が、高市推し民の中ではまるっきり失言化・問題化しなかったことから、実に的を射た評価に思う。
 そう、もちろん政策で高市自民を推した層もいるだろうが、その背後に膨大な「高市だから推した」の推し活勢がいる光景。
 あーこれだよこれ……となった。
 なぜならこの現象、まさに前回の最後で吐露した、僕自身がカルチャーの文脈においての推し活的文化、誰か・何かのファンになって熱狂的かつ盲信的に応援するという心理が全く理解できない(それゆえに孤独も感じ)だけでなく、そこに抵抗感を感じ、「そうはなりたくない」と感じてきた理由、そのものだからだ。

「円安ホクホク失言」や旧統一教会との関係性問題はスルーでいいのか?(写真/PIXTA)
「円安ホクホク失言」や旧統一教会との関係性問題はスルーでいいのか?(写真/PIXTA)

なぜ「政策」ではなく「高市氏」に投票する?

 アーティストにとっての作品が楽曲であるならば、政治家にとっての作品は政策だろう。今回の推し活選挙で僕が最も問題に感じたのは、本来投票を左右する判断点である「政策」ではなく、高市氏という人物に投票した層が一定数いたこと。それと、アーティストに対し、その作品ではなく人物で評価・支持することとは、僕の中ではまったく同列に思える。
 そして、こうした支持層に抵抗感を感じ、「そうはなりたくない」とまで思うのは、作品作りに誠実なアーティストにとって、自分が作ったものであればなんでも評価されるというのは、冒涜的だと思うからだ。
 もちろん、選挙時における政治家にとって、自身の評価=得票があれば政策は二の次なのかもしれないから単純に比較はできない。
 けれど、例えば自身の中でファーストアルバム、インディーズ時代の作品を越えられないミュージシャンにとって、不本意な新作しか出せないにもかかわらず、ただただ盲信的なファンが増え、名声だけが上がっていくのは、果たしてどんな気持ちだろう。
 ジミ・ヘンドリクスやカート・コバーンなどを代表とする「27歳で死を迎えたミュージシャンたち」の多くが何らかの依存症に苦しんでいたことや、若くして絶大な人気を博した子役がその後病んでいくのは、盲信的で熱狂的なファンと彼らを取り巻くビジネスが彼らを追い詰めたからではないか?
 俺ではなく、俺の音楽を聴いてくれ、私の演技を評価してくれ、そんな叫びが聞こえてはこないか。
 
 もちろん、作品そのものを愛し、過去作を超える作品作りに苦しむ時期の作り手を支えることも、推しの文脈に含まれるだろうから、一概に決めつけはできない。そもそも「名声を得る」ことが目的の作り手もいるだろう(これこそ全く支持できないし、支持できる人の心理も全く分からん)。
 けれど、作品ではなく作り手に熱狂する人々は誠実な作り手を壊しかねないし、「周囲の熱狂が冷めればまた別の熱狂を探すような人々」が、ひいては彼らを殺すのではないか?
 とまあ、そんなことを酒の席で語ると、結構な勢いでドン引かれるのだけど、本連載で掘り下げたく思うのは、こうしたファン心理界隈が全く理解できない、交われないことで、それなりに僕自身が圧力と孤独とそれなりの実害を被って生きてきたこと、そして僕と同様のマイノリティ感を抱える人々がほかにもいるのなら、なんで僕らはこうなっちゃったの? なんで普通じゃないの? しんどいんだけど? ってことである。
 ということでここからは僕「ら」がいること前提で、掘り下げよう。

僕らが「ファン心理」を全く理解できないワケ

 まずは立ち返って、ファン心理なるものが全く理解できない僕らが比較対象とすべきは、逆にそうした心理を持つ人々だろう。
 例えばアイドルのファン心理について、一般的にはどう言われているか?

1:アイドルのその人物の歌やキャラといったパフォーマンスがイイと評価する心理。
2:その人物の背景やストーリーを知ることで、その成長や努力に共感したり、応援したいという気持ち(子を見る親目線を含む)。
3:アイドルに自分の理想や憧れを重ね「あのようになりたい」「目指したい」と感じること、その頑張りを見て自分も再現しよう(頑張ろう)と思えること。
4:ファン集団に属することの一体感や帰属感、布教することでの達成感を得ること。

 ものの本に書かれていることやAIさんのまとめるところを要約すれば、こんなものらしい。
 なるほどなるほど。僕「ら」の方々、どうだろう? ちなみに僕としてはもう、脱落ムーブしかない!
 なぜならここで僕がしっかり共感できるのは、「1」ぐらい。「2」にしても、「1」が伴えば一層頑張ってほしいとは思うだろうが、「なんでその対象がアイドルなの?」と思ってしまうからだ。
その熱量があるならもっと身近に応援したい存在はいないのか? 親目線ならもっと世代とか集団で支えたいと感じるし、ストーリーがあって報われずに努力を続けてる人なんて本当に身近にごろごろしているのにな、とも思う。
 「3」の心理に至っては、僕には全く欠落していると言わざるを得ない。意味がわからない。
「あの人の作るような作品を自分も作りたい」とは思うが「あの人になりたい」ではないし、それがファンとして熱狂的に応援する理由には全く結びつかない。
 努力のプロセスを学びたい、模倣したいと思うことはあるが、それと「その対象が好き、ファンとして応援したい」とは、やっぱり全く一致しない。

推し無き僕らは「推しのアイドルのようになりたい」という心理が全く理解できない。(写真/PIXTA)
推し無き僕らは「推しのアイドルのようになりたい」という心理が全く理解できない。(写真/PIXTA)

 最後の「4」については……やっぱりわかるようでわからん。
 確かに、その対象を成功させる後押しをしたいという共通目標を持った集団があるとして、そこに属して目標到達のために一緒に行動するのは、多分楽しいだろう。
 けれど僕が応援行動よりももっともっと快楽に感じるのは、僕自身が目標に努力するプロセスや、同じ像に向かって努力する仲間との一体感や帰属意識だ。だから僕は自分自身のやるスポーツが大好きだし、真剣に同じ競技をするプレイヤーやライバルなら無条件で応援したくなる。
 最も意味が分からないのは布教=ファン層を拡大させ、対象をより一層著名で評価される存在にすることだ。僕は僕の好きな対象を「より著名にしたい」とは思わないし、著名で多くの評価を得るようになったら、より優れた作品やパフォーマンスが出せるとは思えない。
 もちろんそこには、ひっそり自身が良いと思ってきたものがファン層を拡大する中で、作品理解のない「にわか」が湧くことへの嫌悪感があることは自覚しているし、逆にそうしたにわか勢を養分にして作り手がモノづくりを継続できる現実があることも理解する。
 けれどそれ以前繰り返しになるが、そもそも僕には、最終目標が「著名になること」の人が好きじゃないし、むしろ積極的に応援したくないという感情もある。名声欲が「良い作品を作りたい欲」を凌駕している作り手には、強い失望感や嫌悪感すら感じる。

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新刊紹介

鈴木大介

すずき・だいすけ/文筆業・ルポライター
1973年千葉県生まれ。主な著書に若い女性や子どもの貧困問題をテーマにした『最貧困女子』(幻冬舎)、『ギャングース(漫画原作・映画化)』(講談社)、『老人喰い』(ちくま新書・TBS系列にてドラマ化)や、自身の抱える障害をテーマにした「脳が壊れた」(新潮社)、互いに障害を抱える夫婦間のパートナーシップを描いた『されど愛しきお妻様』(講談社・漫画化)などがある。
2020年、「『脳コワ』さん支援ガイド」(医学書院・シリーズケアをひらく)にて日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞。近刊に『ネット右翼になった父』(講談社現代新書・新書大賞2024・5位)『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎新書)など。

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