よみタイ

武田信玄の野望を叶えた信州味噌

博覧強記の料理人、美味の迷宮を東奔西走す!
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。

前回から始まった「味噌と醤油」編。
2回目の今回は、味噌の種類について考えてみます。

醤油と味噌② 味噌こそがローカル食文化の象徴

 食の世界で「上流」「下流」という区分けを用いるのはちょっと下品ですが、ここではあえて、この言葉を使います。と言ってもこれは、上流が優れていて下流は劣る、という前提の話ではなく、文字通り川上と川下、みたいなニュートラルな意味しかありません。
 さて、和食における上流は、前回でも触れた「日本料理」、つまり関西ルーツの高級料理です。日本各地には様々なローカル食文化、つまり下流にあたる食文化がありますが、そのそれぞれは、多かれ少なかれ上流からの影響も受けています。
 料理に砂糖を使うのは今や当たり前ですが、これだって元を辿れば上流の文化。庶民の世界にもたらされたのは、せいぜい幕末以降です。和食の基本と言われるだしだってそう。昆布だって鰹節だって煮干しだって、元々はそれ自体を食べるためのものでした。そんな貴重な栄養源を旨味だけ抽出して捨ててしまうなんて、本来なら贅沢この上ない貴族的な文化です。
 下流の食文化に影響を与えるものは、他にもあります。そのひとつが、料理本や料理番組などの、メディアを経由したものです。初期の料理本や料理番組は、当時一流のプロが、和食のみならず洋食や中華も含めて下流にその技術を啓蒙することに主眼が置かれていました。高級料理店の文化を間接的に伝えたものとも言えます。
 ただし時代とともに少しずつ変化もしていきました。メディアが伝える料理のノウハウは、もう少し最初から下流に寄り添ったものになっていきます。つまり高級な専門店のプロよりも身近な、家庭料理の専門家がその主体になっていきました。現代では、さらに目線を一般層に合わせた、より親しみやすく敷居の低いレシピが、ネットを中心に大人気です。それはもはや上流からもたらされるものではなく、水平展開と言ってもいいものです。

記事が続きます

 面白いことに、食エッセイやグルメ漫画といった分野も、同じような傾向を辿っています。かつてはあくまで、有識者が庶民を啓蒙するというスタンスのものが主流でした。しかし、この分野における金字塔とも言える漫画『美味しんぼ』を最後に徐々になりをひそめ、今では読者と同じ視点から語られる水平的なコンテンツが主流です。
 水平と言えばもうひとつ、人々の物理的な水平移動もあります。地域を跨いだ人の移動は、言うまでもなくもはや当たり前で、ローカル文化は必然的に混淆していきます。異なる地域の出身者同士が結婚して、家庭内で食文化のすり合わせが必要となる、みたいな話は、稀に深刻な諍いの種になることもあるのでしょうが、概ねほのぼのエピソードとして語られることが多いように感じます。
 こうやってローカルな食文化が縦・横・斜めから様々な影響を受け続けた結果、何が起こるかというと、それは均質化です。エントロピーの増大と言ってもいいのかもしれません。しかしその中でも、しぶとく残る独自性というものは間違いなくあって、そこの面白さにフォーカスしつつお腹の空く面白い話をしましょう、というのが本連載の目指すところです。

記事が続きます

 ……なんだか「あとがき」みたいな総括に入ってしまいましたが、ご安心ください、話はまだまだ続きます。前回、そういうしぶとさの一例として、醤油の話を取り上げました。しかし、それ以上にもっとしぶとい世界があります。味噌です。
 味噌・醤油、と並び称されることの多い両者ですが、その普及の時期や過程は大きく異なります。味噌が庶民の間に普及し始めたのは、室町時代にまで遡るそうです。以来、少なくとも農村においては、味噌は自家製が基本でした。だから各地域で様々な異なる味噌文化が花開きました。もっと言えば、地域どころではありません。「手前味噌」という言葉が象徴するように、家ごとに異なる味わいがあったのです。
 醤油という言葉が文献に登場するのは、やはりこれも室町時代のようです。しかしこちらは味噌のように各家庭で作られるようにはなりませんでした。なぜなら醤油の製造には専用の設備が必要で、簡単に自作できるものでもなかったからです。だからそれは、都市部はともかく農村では贅沢品でした。そしてそれは現代風に言えば「メーカーが供給する商品」でしたから、地域ごとの多様性は、決して味噌ほど大きくはありませんでした。
 結果として、日本全国には様々なタイプの味噌が定着しました。大きく分けると、米味噌、麦味噌、豆味噌の3種類。いずれも大豆が主原料ですが、使用する麹の種類によって分類されます。その結果、味わいも大きく異なるものになります。さらにそこに、これらの2種類以上をブレンドしたり、複数の麹を使用したりした「調合味噌」を加えた4種類が、日本農林規格上の分類となります。
 この分類とは別で、色による分類も一般的です。俗に赤味噌/白味噌/合わせ味噌と言われたりもしますが、たとえば「赤味噌」と言う場合、日本料理の世界だと豆味噌(八丁味噌)だけを指すことが多いものの、一般的にはそれ以外の味噌が熟成の方法や期間によって濃色に仕上がったものもそう呼ぶことが少なくありません。同様に「白味噌」も、西京味噌に代表される極甘口の米味噌のみを指すこともあれば、麦味噌なども含めて淡色のものを全てそう呼ぶこともあります。

 どうでしょう? 付いて来られていますか? まあ付いて来られなくても大丈夫です。要するに全国には様々な味噌があって、そのそれぞれは、全く違う調味料と言っても言い過ぎではないくらいの違いがあるってことです。

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新刊紹介

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)など。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)、『ミニマル料理「和」』(柴田書店)。

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