2024.5.4
麺もダシも「うまけりゃええやん」が象徴される〝大阪讃岐うどん〟という存在
大阪の飲食店における「お客さん至上主義」
アップデートされ続ける大阪うどんを象徴するムーブメントが「大阪讃岐うどん」です。その始まりは2003年に難波千日前で開業した〔釜たけうどん〕と言われています。文字通り「大阪うどんと讃岐うどんのいいとこ取り」ですね。讃岐よりは少し茹で時間も長いそうで、しっかりコシもありつつモチモチした食感が、関西風のかつお昆布ダシによく合うとのこと。もちろん最初はごくマイナーな存在だったのでしょうが、その後徐々に人気を集め、フォロワーと言うべきお店も増えて行きました。今では讃岐にもその影響を及ぼしていると言います。
そもそも「大阪讃岐」という呼称が素直に好意的に受け入れられる、大阪という土地柄が何とも面白い気がします。一歩間違えば「邪道」「偽物」みたいな、ネガティブな印象すら与えかねないと思うのですが、大阪の人々は「うまけりゃええやん」とばかりに、作り手とお客さんが一丸となって、それを新しい文化として育て上げたということでしょう。
ちなみにこの大阪讃岐うどん、今では東京にもお店が増えつつあるようですが、ちょっと前までは地元での盛り上がりの割になかなか進出が果たせなかったそうです。これについては、「東京の人は『正統派』であることを重視するから」と分析していた人がいました。つまり先ほど触れた、大阪ならではの土地柄と真逆のことが起こったということですね。
一応補足しておきますが、これは決して、東京のお店が顧客を重視しない、あるいは東京のお客さんの頭が硬い、ということではないと思います。確かに東京は、先ほど述べたような大阪のサービス精神あふれる柔軟なメンタリティとは、対局にある印象があります。しかしそれは、そうやって「正統」を守る、すなわちオーセンティックであり続けることこそが、最終的にお客さんのためでもあるという信念に基づいているような気もするのです。お客さんもそのことを知っている、だから(時には首を捻りながらも)お店側のポリシーを尊重するのではないでしょうか。この東京と大阪のメンタリティの違いは、食味的な嗜好の差のみにとどまらない、東西の味の違いを生み出しているような気がします。拙著『異国の味』でも、東京のある種特異点的な「正統派志向」については、繰り返し触れました。おそらくこの連載では今後、うどん以外の食べ物に関してもこの点について言及していくことになると思います。
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コシを追求する形でのアップデートの例として、最後に名古屋の「きしめん」について触れておこうと思います。僕はもうずいぶん長いこと自宅を名古屋に構えていますが、お恥ずかしながらほんの数年前まで、きしめんはつゆはともかく麺自体はどこの店でもそう大差ないと思っていました。あまりコシにはこだわらない、幅広のやわ麺という認識です。しかし名古屋のきしめん好きの方に言わせれば、それは全くの間違いだと言うのです。
僕はその方から「ここで食べたらきしめんのイメージが確実に変わる」とお勧めされた店に何軒か行ってみたのですが、イメージは確かに覆りました。きしめんというものはそもそも、薄さと幅の広さが特徴ですが、それらの店の麺は、特に薄く、そしてその分幅も広めです。そして、なんだかツヤツヤとして透明感すらありました。そして実際それを口に運ぶと、単になめらかなだけではなく、はっきりとコシもありました。厚みが極端に薄いので、讃岐などのコシともまた違うのですが、その薄さの中に確実に食感のグラデーションもあったのは驚きでした。
こういったタイプのきしめんを提供しているのは、数の上ではあくまで少数で、主に老舗の二代目、三代目といった人々が意欲的に取り組んでいるようです。これが今後、大阪讃岐のようなひとつのムーブメントになっていくのかどうかは分かりませんが、ある種の進化が既に始まっているのは間違いありません。
こうして日本全国の様々なうどんは、その地域性を堅持するのみならず、それぞれの地域で独自のアップデートも行われています。とてもじゃないけど全体像を追っていくことは困難ですが、次回はうどん編最終回として、個人的に記憶に残る各地のうどんについてもう少しだけ書いておこうと思います。
次回は5/18(土)公開予定です。
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