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いなくなった人は、いなくなったままではない。別の形でここにいる。【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡12】

愛猫「イオ」との出会いと別れを赤裸々に描いた『猫と生きる。』の著者・猫沢エミさんと、パートナー・薫さんの闘病と旅立ちについて綴った『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』の著者・小林孝延さん。
受けいれがたい別れがやってきたとき、人はどのようにその後を生きていくのか――
仕事仲間であり友人でもある二人が、東京とパリを結び、喪失と再生について言葉を交わす往復書簡。

前回の猫沢さんからのお手紙へ、小林孝延さんの返信をお届けします。

第12便 とまらない時間の中で 

 猫沢さん、手紙を読んでびっくりしました! 階段を降りている途中に気を失って蒲田行進曲状態になったなんて! 本当に大丈夫でしたか? いや、「大丈夫じゃなかった」って手紙に書かれていましたね。失礼しました。原因は血圧でしょうか。僕も長いこと健康診断では「低血圧気味ですね」と言われ続けてきたのに、いつの頃からからじわじわと上がってきて、現在は標準と高血圧のはざまを行ったり来たりしています。まあ、そもそも高血圧の基準ってやつも時代とともにずいぶん変わったようなので、あまり神経質にならないようにしてはいるんですけどね。それにしても、本当にいつなにがあってもおかしくないお年頃のわれわれですから、くれぐれも無理せずいきましょうね。と、やっぱり健康の話が多くなってしまうのも年齢の証でしょうかね。かくいう僕もじつは人生初の帯状疱疹を発症してしまい苦悶の日々を過ごしています。もうこの皮膚がピリピリする感じやめてほしい……。どうやら50代以上で発症者が激増しているそうですね。いやあ、まじで辛いわ。

 そういえば前回、第10便でほんの少しだけ僕の現状をお伝えしたわけですが、捉え方によっては手紙を読んで批判する読者の方もいるかもな、と、少し覚悟していました。伴侶を亡くしたあとに寄り添ってくれる人がそばにいるというのはとても素晴らしいことではあるのですが、なぜか、ほんの少し後ろめたい気持ちにもなるのです。そのことによって故人への大切な想いが、「なかったこと」にされてしまうような気がして……。
『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』という本を読んで、僕たち夫婦の絆に涙してくれた方たちの気持ちを僕は裏切ってしまったんじゃないか。嘘つきだと思われるかもしれない。そんな怖さもありました。
 もちろん薫への想いは疑いようもないし、消えることはないんです。その気持ちは誰よりも僕の家族が理解してくれているし、今、僕のそばにいる人も尊重してくれています。なのに、どうしてこんなに「知られることを恐れなくてはならないのかな」と思うことが何度もありました。そのもやもやで苛立ってしまうことさえあったのに、いつでも家に来ると、静かに薫に手を合わせ、位牌の周りを黙って磨いてくれているその人の姿を見ると、なんだか無理して関係を隠そうとするのはむしろ不自然なんじゃないかな。今、僕のそばで精神的に支えてくれている人を傷つけてまで守ろうとしているものって一体なんなのかな。果たして意味があるのかな。と、考えれば考えるほど、こそこそしている自分がとってもカッコ悪い人間だと感じるようになったのです。
 そんな状況に悩んでいた僕の背中を子供たちも後押ししてくれました。子供たちにとって母親の存在が特別であることは言うまでもありません。だから息子と娘に「じつはお父さん……」と打ち明けるときには、もしかしたら軽蔑されるかもな、と覚悟して臨みました。
 最初に伝えたのは息子の方でした。そういえば保護犬の福を迎えるときも、病床の薫へのサプライズを演出するために「じつはお父さん犬を飼おうと思っている」と息子にだけはそっと伝えました。息子なんだけど僕が自信を持てないとき、どこか頼りにしているんだろうなあ。そして今回も恐る恐る話してみると「そうなんだ! おめでとうよかったね!  お父さん僕らのためにがんばってきたんだもん。お母さんもきっと喜ぶよ」と拍子抜けするくらい心から祝福してくれました。そしてこんなことも言ってくれました。「つむぎとも話してたんだよ。お父さんにまた誰かいい人ができるといいねって」
 それでも娘に伝えるときは正直かなり緊張しました。とにかく薫にべったりだった娘ですから、やっぱり反応が気になりました。
 その日は家族ですき焼きを囲んでいました。でも味なんてほとんど覚えていません。いつ、どう切り出そうかと、頭の中はそればかり。なんとかデザートのタイミングで、意を決して話してみると、「おお!! おめでとう」ってちょっと驚いたようでしたが、その後、まっすぐな笑顔で祝福してくれたんです。そして「なんの話かと思ったらそんなこと? お父さんはいつも私が進むべき方向に悩んだとき、好きにしていいよって自由に選択させてくれたでしょ。全部信頼してくれて。その父の娘だよ。だからお父さんも、もっと自由に楽しんでほしい。好きなように生きてほしいよ」と言ってくれたのです。
 なんだか、いつの間にかずいぶんと大人になったんだなあと感じました。うれしかったけど、その成長が少し寂しいような。そして深い、深い、愛が届きました。だからね、家族が応援してくれてるんだから、もうこれ以上誰にどう思われるかなんて気にしなくていい、そう覚悟が決まったんですよ。
 私信なのに世間様にも読まれてしまう「往復書簡」はそんな思いを伝えるのにちょうどよかったのかもしれません。
 

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 それにしても、人間でも動物でもひとたび愛した存在を失った後に、新たな誰かを迎え入れることはどうしてこんなにも難しいのでしょうかね。「もう忘れたちゃったの?」と誰かに責められるような気持ちになるからかもしれないし、なによりも自分自身を責めてしまうからかもしれません。絶対にこの喪失の傷は埋まらないという強い思いが自分を締め付けるタガになるというか。
「まだ悲しみに浸っていたい自分」と「それでも前に進んでいかねばならない自分」の間で押し問答しているような状態。ペットロス(ペットという言葉は好きじゃないんですけどね。家族だもんね)を経験して本当に苦しんで、「もう動物は飼えない」という人は多いです。でもその一方で、新しい命を迎えることで、傷ついた心が癒えるばかりか、前の子の記憶や存在がより鮮やかになるようなこともあると思うんですよね。新しい存在は古い存在を塗りつぶすのではなくて、絶妙な色合いで混じり合うというか。喪失には失った悲しみだけではなく、もっともっとなにかできることがあったんじゃないかという答えの出ない問いや後悔が幾層にも重なるようにして心に静かに沈んでいます。いろんな色をした記憶や感情として心の底に。
 伴侶の死後もずっと一途に、その人と手を携えているかのように生きていくという、静かで美しい物語を選ぶ人もいます。僕もそう思っていました。すでに50代も後半。この先の人生は消化試合の「余生」だとうそぶいてました。でも図らずも新しい出会いが訪れました。それは、ずっと固着していた古い時計の針が動き出すような、不思議な変化でした。だけど同時にとまどい、そして悩みました。
 でも、結局、自分は自分の人生しか生きられないんですよね。不器用さごと受け入れるしかない。こんなことを言うと「こばへん開き直ったな!」とか言われてしまいそうですが、苦しみ抜いた果てに、「開き直った」というよりも、新しい存在を受け入れることは以前の存在を消し去ることではないということが理解できたという感じです。
 事実、まだ癒えぬ僕の苦しみや悲しみもまるごと受け入れてもらっています。彼女に手伝ってもらって、泣きながら、手をつけられないでいた部屋の片付けをしたり、家族と一緒に薫のことも、まるでそこにいるかのように話して過ごしたり。そう、彼女と周りのみんなに僕の心の整理整頓を手伝ってもらっているような感じなのかもしれません。いつしか消化試合だと思っていた人生が、進むべき人生に変化してきた気がします。

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 そういえばこの往復書簡の連載の話をいただいたとき、じつは少し怖いなと感じていたんです。それは猫沢さんの愛猫イオちゃんへの突き刺さるような一直線の思いを知っていたから。あまりにもまっすぐで鮮明で、僕のゆるやかに変化していく心とうまく呼応するのかな? 軽蔑されるのではないかなと。初めてもらった手紙で、どこまで行っても僕が「透明なガラス越しに、こちらへ向かってとりあえず笑っている……そんなふうに見えた」と猫沢さんが書いていたけど、その頃の僕はまだそうやって揺れてあやふやな自分の心を守ろうとしていたんだろうなと思います。
 だから連載を引き受けたときには、そのガラスを割って、自分自身をさらけ出そうと心に決めたんです。そうしないと猫沢さんのド直球ストレートを打ち返すことはできませんから。そしてそんな猫沢さんも、イオちゃんへの思いが時間をかけてゆっくりとグラデーションのように変わってきたことを前回の手紙で知って、なんだかほっとしました。

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新刊紹介

猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

小林孝延

こばやし・たかのぶ
編集者。『天然生活』『ESSE』など女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年3月に独立。インスタグラムに投稿したなかなか人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆のストーリーが話題になり2023年10月にそれらの内容をまとめた書籍『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)を発表。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)、「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)。現在は元保護犬1+元野良猫4と暮らす。

Instagram:@takanobu_koba

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