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生きていること、それは今から会いに行けるということ。【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡11】

愛猫「イオ」との出会いと別れを赤裸々に描いた『猫と生きる。』の著者・猫沢エミさんと、パートナー・薫さんの闘病と旅立ちについて綴った『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』の著者・小林孝延さん。
受けいれがたい別れがやってきたとき、人はどのようにその後を生きていくのか――
仕事仲間であり友人でもある二人が、東京とパリを結び、喪失と再生について言葉を交わす往復書簡。

前回の猫沢小林孝延からのお手紙へ、猫沢エミさんの返信をお届けします。

第11便 〝永遠〟と結びつけるべきもの

 小林さん、こんにちは。じゃなくて、こんばんは。実は今、東京に来ています。しかも、小林さんちのわりと近所の友人宅に滞在中。前回のお手紙は、信州の山の中でしたためていましたね。これまで小林さんは、ホームではない別の場所——しかもかなり別世界の大自然の中で何度か書いてくださっていましたが、私はずっとパリの我が家で書いていました。なので今回初めて、しかも自転車に乗ればほんの10分で会える距離で書いていることに少し興奮しています。まるで、忍びの者〝くノ一〟になったかのような悪戯心で。そして小林さんがずっと返信を綴っていた、東京という同じ空間と時間の流れの中にいることにも。
 せっかく10分の距離にいるというのに、じゃあ、今すぐ自転車を駆って会いに行くかと言えば行かない(笑)。だってもう夜の10時を回ったし、小林さんの今夜の予定なんか聞いていないし、突然行ったら迷惑だと知っているから。会っていない時、小林さんは事実上、私の人生には存在しない人になっていると、ふと気づくのです。小林さんに限らず、どんなに仲のいい友達も同じく。もちろん電話はできますけど、これもだいぶ迷惑な時間だからかけようとは思わない(ここではバーチャルなSNSは論外とします)。となると他者(ここでは私)にとって、小林さんが今この瞬間、本当に存在しているかどうか、リアルで確かめる術はありません。小林さんが生きていることは知っているし、実際に生きているんだけど、会っていない時の他者にとって、これは死んでいる=存在していない、こととどう違うのか?とも思うのです。
 お手紙の中で「エミさんにとって『孤独』とは、どんな存在ですか?」という質問がありましたが、東京時代の最終期、日本での大切な存在をあらかた失った後、私は空中庭園のように非現実的な23階のマンションの部屋で、先ほど書いたのと同じことを考えていました。仲がいいからこそ節度を重んじる友達との関係は、会っていない時、存在していないのと変わらないのかもしれない、と。その頃、感じていたものが「孤独」だったと思うのです。節度の壁をぶち破れる存在が、家族や恋人など個々のプライベートなテリトリーで、私はこの先の人生を、節度ある孤独と付き合っていくのか、それとも勇気を出して自分のテリトリーに誰かを招き入れるのかと自問し、後者を選び、海を渡る決心をしました。もちろん、どんなに愛する人と一緒に暮らしたって、喧嘩をすれば敵のように感じたり、ひとりよりもさらに寂しく感じたりもする。でも、互いの壁を少しずつ壊して、ふたつの部屋を繋げる人生のリノベーションは、やり甲斐があって、もしもうまくいかなくても、やってみること自体に意義があると思うんですよね。だから未来のいかなる可能性にも怯えることはないのです。

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 続く質問に、「パリで暮らしていて、『これは日本とは違うな』と感じる〝孤独のかたち〟って、ありますか?」とありましたが、フランス人の個人主義とは、あくまでも社会に対する自分の指針に関することで、他者との交わりは日本人のそれよりも熱く、親密だと感じます。もちろん、人によってまちまちではあるものの、フランス人はぶっちゃけ寂しがりやです。いや、ナニ人問わず、孤独と付き合うのが上手な人なんか、この世にいないんじゃないかって私は思います。人間は元来、ひとりでいれば孤独を感じて当たり前の生き物だ、ということをフランス人はてらいなく真っ向から受け止めて、孤独を放置しない人たちだなと捉えています。
 私の家の周りには、ホームレスや酒乱の人たちが集まりやすいんですけど(なぜに? 笑)、時々「寂しいよお〜」って叫びながら泣いている人もいたりするんですよ。うちのインターフォンを押して「マダム〜、寂しい〜」とか言われると、うっかりドアを開けたくなりますが、そんな姿を見ると切なくなる反面、すごくヒューマンだなあと感じ入ったりもします。これが日本人だと、まず人に迷惑をかけないように、自分の孤独は自分でなんとかすべきだと必要以上に考えはしないでしょうか。私も日本にいる時はそうしていました。そして、その節度がたまらなく孤独で、それに耐えうる日本人の方が、よっぽど孤独と付き合うのが上手……というよりも、耐性がある(だけで本当は、みな孤独)と思います。
 小林さんと薫さんが最後に「旅」をした場所、目黒川沿いを今年訪れたという前回のお手紙で、実はその日ひとりじゃなかったと知り、とても安堵したのと同時に、私が感じた若葉の青い匂いはこれだったのかと膝を打ちました。
 

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 そういえば今日、イオを保護した新宿の裏通りのすぐ近くにある、友人が営むおにぎり屋さんへ行ったのですが、帰りの電車の中で、〝私、あのおにぎり屋さんへ行ったのに、イオを保護した場所へ初めて行かなかったな〟と気づきました。イオを捨てた元飼い主への恨みと、彼女を失った哀しみがないまぜになった感情を抱えて、これまで何度あの通りへ足を運んだことでしょう。それがいつの間にか消えて、行くことを無意識に忘れられるようになっていたのです。
 前回の私からの手紙で、小林さんに「再生の兆しを初めに感じたのはいつでしたか?」と質問しておきながら、同じ質問をあらためて自問すると、よく思い出せないんですよね。なにその無責任(笑)。小林さんも「はっきりとはわかりません」と書かれていましたが、きっとこれが答えなんだろうなと。気づくことなどできないほど、ほんのちょっとずつ、ものすごく尺の長いグラデーションのように、毎秒ごと何かが変わっていって、我々の今の心持ちがあるというのが。ただ、ひとつ印象的に覚えている日がありました。イオを失ってからの数ヶ月、仕事以外の時間は祭壇の前で泣いてばかりいたんですが、ある日、彼女が私の背中に羽を取り付けて「新しい人生に向かって羽ばたいて」と言った気がしたんですよね。もちろん心霊現象が起きたわけではなく、私の心の中に生まれた新しい兆しが見せたイリュージョンだったんだろうって。

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新刊紹介

猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

小林孝延

こばやし・たかのぶ
編集者。『天然生活』『ESSE』など女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年3月に独立。インスタグラムに投稿したなかなか人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆のストーリーが話題になり2023年10月にそれらの内容をまとめた書籍『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)を発表。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)、「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)。現在は元保護犬1+元野良猫4と暮らす。

Instagram:@takanobu_koba

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