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肉体という形を変えた愛するものたちの、個としての意識を探して【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡7】

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 私が大切な存在を失い切った頃、やり場のない哀しみをどうにかしたくて、生命に関するさまざまな本を読み漁りました。その中にはインド哲学もありましたし、僧侶の方が書かれた仏教的な死生観の本もありました。しかし、やはり「太陽が心配」な子(第5便参照)は、歳をとっても宇宙に答えを見出しがちなようで、最も腑に落ちるパーセンテージが高かったのは、量子力学と宇宙物理学でした。
 量子力学の世界では、宇宙に存在するすべてのものは、《波と粒子》として存在している、というふうに考えます。そして物質として考えた場合でも、生き物が死んで、遺体を土葬や火葬にしても物質が形を変えただけで、質量は変わらない。つまりこの宇宙から消滅したわけではないんですよね。「魂とは、僕たちの祖先が遺してきた無数の生と死の細胞レベルの記憶の蓄積で、それが僕たちの体の中をエネルギーとして循環し続けているのかなあ」と小林さんが書かれていた通り、量子力学でいうところのエネルギーは受け継がれ、存在していると言えるかもしれません。
 小林さんはお手紙で、「僕は最初から母の一部であり、その死を通して母は僕の生の中に内包されたのではないのか」と書かれ、また、お母さまよりも同一性を感じないぶん、お父さまや薫さんには、一層強い残像感があるのかもしれないと言っていましたね。実母の顔をほとんど覚えていない私には、自分が生まれ出た人に対する認識や、その人と対峙する感覚といったものがありません。一方で、私の母は実母ではありませんでしたが、彼女のエネルギーは確実に私の中に内包されている(ある意味とても危険! 笑)と感じます。
「魂」のいいところは、血の繋がりなど簡単に超える、体を介さないエネルギーを持っているところじゃないのかなと私は考えています。扁平上皮がんで亡くなった愛猫イオは、もはや種も超えて私と一体化している感覚があります。これについては、私という人間の願いや想いが生んだイリュージョンではない、とは言い切れない部分もありますが、例えば我が家の猫たちを見ていると、イオが我が家へやってきて、亡くなるまでの1年半の間に受け継いだ彼女のエネルギーを今も満々に湛えていると強く感じます。
 イオは自分よりも年下で経験値の少ないマンション育ちのおぼっちゃま猫2匹に、猫としての愛情表現の仕方から、路上生活を生き抜いた素晴らしい狩りの技術まで、すべて教えてくれた猫生の師でした。彼らの生活の中に今も生きているイオの教えや立ち居振る舞いを目にするたびに、魂のDNAは確実に受け継がれていることを実感するんですね。彼女の体は物質としては形を変えたけれども、エネルギーとしてこの世界に、またそれを受け継いだ者の中に、確実に存在している。イオの死後、私を支えているのはこの持論です。そして「そもそも『死』があることを意識しないで『生』を生きる」を実践している動物たちは、なおのこと純粋なエネルギーでこの世界を満たしているのでしょうね。小林さんが命の雄叫びに包まれた、あのアマゾンの原生林のように。

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 第2便で、〝傷の存在を忘れてしまう恐怖〟を私は感じることがあるのか?と小林さんから質問がありました。
 大切な存在を亡くした心の傷は時間と共に〝癒える〟とか〝薄らいでいく〟んじゃないかって初めは考えていました。でも、私の場合はそうじゃなかったんですよね。傷も心に空いた穴も、決して癒えたり消えたりはしない。ただ、その跡に新しい何かが芽吹いて緑地化していくような、そんな感覚。だから、〝存在を忘れてしまう恐怖〟はありません。傷も穴もそのままなので、哀しみも基本的にはなくならない。でも、徐々にその色合いが変わりつつあって、むしろ今後、どう変わっていくのかな?という興味があります。
 私が怖いと思うこと。これは今回の小林さんのお手紙の「猫沢さんは死ぬのは怖いですか?」という質問の答えでもあるんですが、見送った命も、そしていつか私も、形を変えてエネルギーだけになった後、〝個としての意識が存続するのか否か?〟を考える時です。「ゆっくり無になるのも悪くはないかな」と小林さんは書かれていましたが、私はこの「無になる」つまり個としての意識が消滅して、記憶がなくなったり、意思の疎通ができなくなることが、現時点ではとても怖いのです。
 前出の水平線の話。そこに佇み、逝った存在とコンタクトしようとしている私は、エネルギーに形を変えた大切な存在の、個としての意識を探しているのです。通信できるようなはっきりとした意識体として残るものなのか? それとも本当に無なのか? それとも映画『インターステラー』のように、実際の宇宙空間と繋がるような世界が存在しているのか? 小林さんがお手紙に書いていた「もしかしたら魂とも電気信号で交信できたりする時代がそう遠くない未来にあるのかもしれませんね」というくだりを読んで、本当にこんなことができる未来が訪れたら、死はもはや怖いものではなくなるのに、と思いました。小林さんは死後の世界の有無について、そしてもしも存在するのだとしたら、どんなイメージを持っていますか?

 そういえば、小林さんのお手紙に「なぜか今回は不思議なシンクロを感じています」とありましたが、私も同じく!です。「フラクタル構造」が出てきた時、思わず「えっ!?」と声に出してしまいました。フラクタルとはフランスの数学者、ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念で、図形の部分と全体が自己相似(部分と全体が同じ形をしている)のものを指しますが、10年ほど前、フラクタルにハマって、この概念をテーマにしたアルバムを出そうと目論んだことがありました。フラクタルな音楽ってナニ!? どんな曲!?(笑) フラクタルな野菜ロマネスコ、実はうちのパートナーが嫌いという理由でまだ食べたことがないのです。今度、彼がいない時に食べてみますね。
 今夜は冬の冷たい雨が降っています。ふと音楽を消して、雨音に耳を傾けるのもなかなかいいですね。手紙をしたためる横でずっと付き合ってくれている我が家の猫たちが、そろそろ寝ろニャーと鳴くので、筆を置くことにします。今日も良い1日を!

 冬のパリの日光浴不足は鬱を引き起こすと聞いて、ビタミンDのサプリメントを飲み始めた猫沢より

追伸:実は先日の日本帰省の際に、下の弟・ムーチョ、姪っ子とバーミヤンでごはんを食べていた時、父の位牌と遺影を急に手渡され、「1年、お父さんをパリに留学させてほしい」と無理強いされました(笑)。イヤイヤ連れて帰ったのですが、いざ父を置いてみたところ、意外とイヤじゃない自分にちょっと驚いています。たまに話しかけたりしていることにも。

次回、小林孝延さんからの返信は3/22(土)公開予定です。

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新刊紹介

猫沢エミ

ねこざわ・えみ
ミュージシャン、文筆家。2002年に渡仏、07年までパリに住んだのち帰国。07年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー≪BONZOUR JAPON≫の編集長を務める。超実践型フランス語教室≪にゃんフラ≫主宰。著書に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる。』『猫と生きる。』『イオビエ』『猫沢家の一族』など。
2022年2月に2匹の猫とともにふたたび渡仏、パリに居を構える。

Instagram:@necozawaemi

小林孝延

こばやし・たかのぶ
編集者。『天然生活』『ESSE』など女性誌の編集長を歴任後、出版社役員を経て2024年3月に独立。インスタグラムに投稿したなかなか人馴れしない保護犬福と闘病する妻そして家族との絆のストーリーが話題になり2023年10月にそれらの内容をまとめた書籍『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)を発表。連載「とーさんの保護犬日記」(朝日新聞SIPPO)、「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)。現在は元保護犬1+元野良猫4と暮らす。

Instagram:@takanobu_koba

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