2025.2.22
肉体という形を変えた愛するものたちの、個としての意識を探して【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡7】
受けいれがたい別れがやってきたとき、人はどのようにその後を生きていくのか――。
仕事仲間であり友人でもある二人が、東京とパリを結び、喪失と再生について言葉を交わす往復書簡。
前回の小林さんからのレターfromアマゾンに、猫沢エミさんがお返事します。
第7便 水平線で逢いましょう
おはボンジュー、小林さん。そしてアマゾンから、お帰りなさい。お手紙から溢れ出るような自然のエネルギーと、それを補給して燦々と輝く小林さんのスピリットを感じました。
「かっこいい書き出しが欲しくて」川のほとりで書いたというその気持ち、同じ物書きとしてちょっとわかる気がします(笑)。その川の名前、〝エセキボリバー〟の響きもかっこいいので、画像を探して見てみたんですけど、お手紙にもあった通り、開けていて明るくて場所によっては海?と見まごう白砂の川岸もあるんですね。それから「スリナムとの国境に近いクルクカリ」の〝クルクカリ〟が、これまた素敵な響きなので調べてみましたが、インターネットでは見つけることができませんでした。昨今の世の中、ネットで見つけられないものはないと思っていましたが、未だデジタル検索の手が及ばない地球上の場所があると知り、なぜか少しホッとしました。そして、日本から40時間以上かかるガイアナ協同共和国にバカ(魚釣り)をやりに行った小林さんを人として、ますます好きになりました。私は常々、人様に迷惑をかけないバカ(ここではチャレンジという意味)は、どんどんやるべきだという考えの持ち主です。だって、人生は一度きりですからね。やってみたいと真摯に思ったことは、やってみなくては。歳を重ねて経験値が上がってくると、いろんなことが予想できてしまうぶん、小さく保守的になりがちですが、同時に時間が過ぎるのがどんどん速く感じられるようになるこのくらいの年齢からは、ますますバカを積極的にやっていこうと心に決めています。
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小林さんのお手紙にあったアマゾンの命の描写、「全方位から重層的に聞こえてくる『命の音』を感じてちょっと震えた」というくだりを読んで、なぜ私が自然豊かなところよりも街を居住地として選んでしまうのかを思い出しました。福島県白河市という田舎町で私は生まれ育ちましたが、実家は市内でも目抜き通りと言われていた商店街のど真ん中にありました。それでも15分も歩けば自然豊かな山に突き当たり、小学校も山の頂上にありましたので、友達との遊びはもっぱら自然を相手にしたものでした。たとえば大蛇の脱け殻集めやたけのこ掘り。冬になると米袋を橇代わりにして雪の斜面を滑り降り、夏になれば川泳ぎを楽しむ……そんな田舎町の国道に初めてマクドナルドができた時は大騒ぎでした。
ここで突然ですが、ちょっと勇気を出して小さな告白をします。これまで人にほとんど話したことがない、私の子供時代についてです。私は小学校低学年から中学年にかけて、一時、強迫性障害を患っていたことがありました。とはいえ当時の田舎では、子供が精神科へ行くということは、ほぼタブーでしたから、精神科のお医者さんから直に診断されたわけではなく、母が私の症状を見て精神科へ相談に行った結果、おそらくそうではないかと言われた、というものです。強迫性障害の症状についてはネットなどにもよく上がっていますのでここでは割愛しますが、このきっかけになったのが、〝あらゆる命の声が聞こえる〟という現象でした。こんなことをうっかり書いてしまうと、なんだ猫沢さん、どっぷりスピなんじゃん!と薄っぺらく捉えられてしまいそうで、これまで人に話していませんでしたが、小林さんのお手紙を読んで、告白してみようという気持ちになりました(これが手紙の力、でしょうか)。
いつから、とははっきり覚えてはいませんが、自分を取り巻くあらゆるものには命があると気づき、それらが語りかけてくる(声が聞こえる)ようになりました。「声」とは言っても、普段私たちが感知している「音」としてではなく、意思のようなものが、直接私の頭の中にコンタクトしてくるような感覚でした。私の中では、それらを平等に扱わねばならないという強い思いがあって、何かひとつの声のみにとらわれると、他の命がヤキモチを妬いたり哀しんだりすると考えていました。たとえば、寝る前に自分をとりまくありとあらゆる命に「おやすみ」を平等に言ってあげなくては、エミは寝てはならぬ……という具合に。あっという間に、不自然な寝不足小学生の一丁上がり、です。
強迫性障害から脱したきっかけは音楽でした。私の通っていた小学校は、環境だか建築だかで賞を獲ったことがある、なかなか素敵な小学校だったのですが、そこにオーケストラ部がありまして、4年生から入部することができました。あまりにも入りたくて、3年生の終わり頃から毎日部室を覗いていたら、顧問の先生がちょっと早めに入部させてくれました。そこでヴァイオリンを始めたことがきっかけとなり、私の病はあっという間に治ってしまいました。今思えば、私は〝命の声〟が聞こえないように、他の音楽を聴き続ける必要があったのかもしれない……そんなふうに思います。自然を避けて私が街に暮らすのは、あの抗えないエネルギーを放つ〝命の声〟が、また聞こえ始めたら……という私なりの防御だったのですが、今回の小林さんのアマゾン旅行の話を聞くにつれて、〝もしかしたら今の私なら、声を聞いても支配されることはないかもしれない〟と思えたのも事実です。今度、アマゾンよりはもう少し初心者コースで大自然の冒険に連れて行ってください。『私をスキーに連れてって』的な軽い調子でお頼み申します(笑)。
命の濃厚な多重奏をアマゾンで全身に浴びた小林さんの「生命が生まれては死んで連鎖していく世界を目の当たりにすると、そもそも『生』と『死』って同じことなんじゃないか?というような突拍子もない考えに至りました」という一文に、深夜のパリで深くうなずいています。
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先日、ある友人がパリの我が家を訪ねてきました。彼女は近頃、不慮の事故で恋人を失っておりまして、私は彼女のことを気にかけていました。「最近はどう? 落ち着いた?」と尋ねると、彼女は「不思議なんだけど、感情が湧かない水平線のようなところにいる感じなの」と言い、私は〝あゝ ものすごくよくわかる〟と思いました。そして「それはあなたが生と死の境目を取り払う経験をしたからだと思う」と言いました。日本を発つ前の数年間で、大切な存在を短期間のうちに次々と見送ってからしばらくの間、まさに私も彼女と同じく感情が湧かない水平線の上に佇んでいました。そしてこの頃、何十年ぶりかに再会した小林さんも、この水平線に佇んでいる印象を密かに受けていました。当時は、衝撃が大き過ぎたゆえの思考停止とか、麻痺状態なのだと思っていましたが、今でもあの水平線はなくならず、気がつくとたびたびそこに佇んでいる自分を見つけるのです。果てのない水平線は、まるで生と死が繋がれた証のようです。そして実際に生と死は、お互いがなくては存在できないものなのだと悟ります。面白いですよね。小林さんは命のエネルギーが縦横無尽に行き交うアマゾンで、その発想――「そもそも『死』があることを意識しないで『生』を生きることになる」へと辿り着き、私は相変わらずパリの部屋の中で思考を巡らせて、辿り着くというところが。
ところでその水平線で何をしているのかというと、やっぱり逝った存在とコンタクトしようとしているんですね。イメージとしては水平線の遠く向こう、空間が集約されている点のようなところに向かって、静かに意思を通わせようとしている感じかな。とはいえ魂や、いわゆるあの世の存在を100%信じているかといえば、そうじゃない自分も同時に見つけるのです。
先のお手紙で私が投げかけた「魂は存在するのか?」という問いに小林さんは、いわゆる幽体離脱などに代表されるオカルティックな「魂」ではないにせよ、「肉体という乗り物を乗り継いでいる生命の根源みたいなものは確実に存在している。もしかしたらそれを魂と呼ぶのではないかな」と表現していましたね。
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