2024.8.24
出会って20年……今、それぞれの喪失を経て言葉を交わすということ 【猫沢エミ×小林孝延・往復書簡1】
受けいれがたい別れがやってきたとき、人はどのようにその後を生きていくのか――。
仕事仲間であり友人でもある二人が、東京とパリを結び、喪失と再生について言葉を交わす往復書簡。
第1便 ガラス越しのふたり
おはボンジュー、小林さん。こちらは深夜零時をまわったところです。となると、日本は朝の7時ごろですね。夏のこの時期は、小林さんから遅れること7時間、過去を生きているパリの猫沢です。逆を言えば、私より7時間先の未来を生きている東京の小林さんがすこしだけ眩しく見えるのは、〝未来〟という言葉が持つ、明るさや自由なイメージに照らされているからでしょうか。
パリの真夜中は、大音量でヨーデルを合唱しながら自転車で駆け抜けていくスイスの民族衣装に身を包んだカップルや、バス停で野宿しながら自身の辛い人生談をひとり演説し続ける人など、東京の夜にはまず目にしない風景がときおり広がります。だからなおのこと、その合間、合間におとずれる静寂と夜空の色合いは、さらに濃く、肌に沁み込んでくるんですよね。
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そんなパリに暮らして、3回目の夏がやってきました。小林さんもご存知の通り、私がパリへ引っ越す前の5〜6年間は、立て続けに大切な存在を見送らねばいけなかった時期でした。そして、小林さんも奥さまの薫さんを見送られる時期でしたね。
『天然生活』が創刊した2005年に出逢い、その後しばらく疎遠になっていた私たちが再会したきっかけは、俳優の石田ゆり子さんが、拙著『猫と生きる。』(辰巳出版)を読んでくださったことでした。当時、ゆり子さんのご著書の担当編集者だった小林さんが連絡をくださったのが2020年のクリスマスのあたりでした。そこから15年というブランクを巻き戻すかのように、一個人の友達として、たまにお酒を酌み交わしていくわけですが、いざ面と向かうと、小学生の男子ふたりが(この場合、私も完全に男子です)大人の真似して飲んでるのかっていうくらい、くだらない話ばかりしていたように思うのです。
小林さんは奥さまを亡くされて、まだ2年ほどの時期。私は両親を見送りつつ、自身の大病との闘いを終えて、ようやく体も癒えてきた頃と記憶しています。私たち、ほとほと疲れていましたよね。まあ、誰しも人間50年もやっていれば、傷が治りづらくなったり、心に空いた穴が埋まらなくなったりするものですが、あの頃は、人生にやり込められた、まるで手負いの獣のようなふたりが、言葉に変換する前の思いを抱えながら、ただ時間を共有していた……そんな、余白みたいな時間こそが、我々には必要だったんじゃないかと思うんです。
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飲んで、うらうらと酔いながらも、私は小林さん自身に起きた、ここ数年の出来事について、一人の人間としての言葉を聞きたいと密かに思っていました。でも、特にこの時期の小林さんは、ご自身のパーソナルスペースの一番外側にはいるものの、透明なガラス越しに、こちらへ向かってとりあえず笑っている……そんなふうに見えたので、私もそのままガラス越しの小林さんと、ニコニコ酒を酌み交わしていようと思いました。
人間、親しいからこそ踏み越えられないラインってあると思うんですが、私は元来、〝他者に対して自分自身のどこを、どのくらい開くかは、その人の自由である〟という考えを持っています。だから、相手が自ら話したがらないことについて聞くことは決してしませんし、相手のすべてを知っているか、知らないかは、実は真に親しくなることとはあまり関係がないと思っているからです。それゆえ小林さんに踏み込まなかった私は、〝小林さんは、昔から知っているし仲がいいけれど、いちばん肝心なところは透明なガラス越しの向こう、しかもいつも笑顔のカーテンでご自分の大切な核を守っている……〟そんなイメージを勝手に抱いていました。
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