2026.1.2
米倉強太 グッチなども手がける気鋭の映像クリエイターになるまで【実録・メンズノンノモデル 第2回 前編】
第2回は、2025年に阿部寛さん主演の映画『キャンドルスティック』で長編映画監督デビューも果たした、米倉強太さん。現在31歳。新進気鋭の映像作家として注目を集める彼にとって、メンズノンノはまさに表現者としてのスタート地点。モデルから映像クリエイターへ。意外な転身の裏にあった、知られざるストーリーに迫る。前編では、メンズノンノモデルデビューから映像との出会いまで。
取材・文/徳原 海 撮影/延命悠大
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メンズノンノはほとんど読んだことがなかった

米倉強太(以下、米倉) あれからもう、13年も経つんですね。
モデル時代の思い出を問うと、感慨深げに、そう一言。栃木の普通の高校3年生だった彼がオーディションでメンズノンノモデルに選ばれたのは2012年。そこから猛烈なスピードで10代、20代を駆け抜け、浮き沈みも経験しながらいろいろなハードルを乗り越えてきたのだろう。久々に顔を合わせた米倉強太は、いい意味で31歳とは思えないほどの落ち着きをまとっていた。あらためて、メンズノンノモデルをめざしたきっかけから聞いた。
米倉 実はメンズノンノはほとんど読んだことがなかったんです。なんとなく、ハイファッションもストリートファッションもあって、みたいなイメージを持っていたくらい。専属モデルオーディションのことも宇都宮の洋服店の先輩から教えてもらいました。『お前は身長があるからいけるんじゃない?』と言われて応募したのがきっかけですね。賞金でバイクも買いたかったし(笑)。
父親が医者、母親はイラストレーター。傍から見ると、現在のようなクリエイター職を志す上で理想的な家庭環境のようにも思えるが、オーディションに応募した当時の彼は、将来やりたいことがまったく見えずに漠然と過ごしていたという。
米倉 実家は小さなクリニックでしたが、継がせたいという気持ちは父になかったと思いますし、医者をめざせと言われたこともなかった。かといって両親の影響からか、一般企業に就職する考えもなくて。じゃあどうやって生きていくんだ?って。そんなふうに未来を切り開く術が見えていなかったんです。勉強もできなかったので一般の大学への進学は想像できませんでしたし、高校を卒業したら何も決まらずこのまま栃木にいるのかなあ、なんて思っていました。そんな折、不思議なんですけど、メンズノンノが世の中への船出の切符みたいに見えたんですよね。
栃木県の那須塩原で生まれ育った18歳が初めて飛び込んだファッションの世界は、見るものすべてが新鮮だった。メンズノンノモデルとして初めて撮影に臨んだ1日のことを今でも鮮明に覚えているという。
米倉 編集者や先輩モデル、スタッフの方々がとにかく輝いて見えましたね。中でも、スタイリストの祐真朋樹さんのお仕事ぶりや立居振る舞いがものすごく印象的でした。『ああ、ここが“ファッションの頂”なんだ』と。何かの頂点みたいなところって、普通に生活していたらそうそう見られないじゃないですか。だから、細かい所作まで、祐真さんのことをずっと観察していました。
そこから撮影のたびに栃木と東京を往復する生活が始まった米倉。日々、撮影スタジオや様々なロケーションでカメラの前に立ちながら、少しずつ被写体としてのあり方を学んでいく。
米倉 僕は本当に田舎育ちの世間知らずだったので、カメラマンさんや編集部の皆さんから撮影現場ではとにかくよく怒られましたね(笑)。『きちんと挨拶しなさい』とか、『もっと考えてカメラの前に立ちなさい』とか。その過程で、少しずつ被写体になることに面白みも感じるようになって、”役者をやってみたい”という気持ちが芽生えてきたんです。振り返ってみると、あの頃に、撮られる側の心持ちを学べたことが、今の仕事にも活きているかもしれません。

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